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2012年5月10日 (木)

給与や賞与の決め方

社員の給与や賞与をどのように決めるかというのは、多くの経営者の悩みになっているのでは無いかと思います。
特に真面目な経営者であればあるほど悩むのではないでしょうか。

給与や賞与は、その会社で働く社員にとって、自身と家族の生活を成り立たせる最も大切なものであり、また、自身の仕事においての客観的な価値を確認する指標ともなるわけですから、その制度設計と運用においては格段の思慮と徹底した公正さをもって望まなければなりません。

当社では、給与計算を月末締めの翌月10日支給にしていますので、本日が新しい期の給与改定がなされた額面での支給となりました。
そこで、今朝の朝礼で給与や賞与などの賃金の決まり方や、その背景について説明をしましたので、ここにも記しておきます。

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まず、賃金の原則として以下のものがあります。

1.ノーワーク・ノーペイの原則

(ノーワーク)仕事をしなければ、(ノーペイ)支払われない。
ということです。これは言い換えれば働きに応じて支払われるということです。
当然、たとえ会社や職場に出社だけしていたとしても、仕事とは関係ないことをしていたりすれば、支払われません。
極めてあたりまえの原則ですね。

2.同一労働、同一賃金の原則

同じ仕事をするのであれば、その仕事をする人が誰であっても同じ額の賃金しか支払われない。ということです。
17歳の高校生がやっても、高学歴で素晴らしい職歴をもった35歳がやったとしても、同じ結果しか出せないのであれば、同額の賃金しか支払われないということです。
この背景には、人種や性別、年齢などによって差別をしないという考えがあります。


3.アウトプット評価の原則

その人が出したアウトプットを評価するということです。
どんなに勉強し、経験を積み、知識や能力を持っていたとしてもそれを発揮し、成果を出さなければまったく評価されないということです。



1.から3.までを見てくると、そこに共通する根源的な背景があることが分かります。
それは、人事評価とは、その「人」を評価するのではなくて、その人の「仕事」を評価することなのだということです。
つまり、人事評価とは「その人の行った事」の評価だということです。

ところが、人事評価というと「人」を評価することだと考え、ただでさえ難しい人事評価をさらに難しくしてしまっているケースが多いようです。
(神様でも無い限り、人を ”正しく” 評価することは至難の業です)

さて、以上のようなことを踏まえた上で、今度は給与や賞与といったお金がどのようにして生まれるのかを考えてみます。

給与や賞与は会社から社員に支払われます。
では、会社はその元となるお金をどこから手に入れているかというと、これは会社がお客さんに売った商品やサービスの対価としていただいたお金を、原資としているわけです。
実は、給与や賞与の原資となるものは、このお客さんから頂くお金しかありません。
一時的には、売上の不振などにより会社の資本や借入金などをそれに充てなければならないこともあるかもしれませんが、それをいつまでも続けることは不可能です。

このように考えると、会社がお客さんに満足してもらえる商品やサービスを提供し、お金を頂くという一連の活動に、それぞれの社員がいかに貢献したか、という度合いに応じて、評価をするのが正しいことが分かります。
ただ、会社の中は、お客さんと直接接する社員や部署ばかりではありませんから、あくまでも会社というチームでお客さんに評価されるために、そのチーム活動にいかに貢献したかという点でみることが大切です。

以上が、私の人事評価についての考え方とその背景です。
給与や賞与の原資がどのようにして生まれてくるのか、ということを理解し、先に上げた原則に則って考えると人事評価がいくぶんかはやりやすくなるものと思います。
また評価される立場にあっては、どのようにすれば、より評価されるのか、という理解になってもらえると思います。

かなり長い文章になってしまいましたが、冒頭で書いた通り、人事評価とは非常に大きな課題ですので、これでもごくごく一部に過ぎません。
また機会があれば、当社で実際に行なっている面談や評価ツールについても書いてみたいと思います。

2012年4月24日 (火)

会社という組織の理想的な姿

理想の会社とはどのような組織であるべきなのだろうか、ということを、会社を始めた当初から、何度となく繰り返して考えてきました。

もちろん、単に理想と言っても、「誰にとっての」理想の会社なのかということは、それぞれの立場によって異なってくるわけですが、「(経営者を含めた)そこで働く人たち」にとって理想の会社という視点で見た場合ではどうでしょうか。

会社を始めた当初、考えていた理想的な組織の形は、目的やプロジェクトに応じてメンバーが変わり、集合離散を繰り返す、フリーランスの集まりのような組織でした。
それぞれに専門的な実力を持っており、その高度な専門性の組み合わせが相乗効果を発揮した時に現れる驚異的なパフォーマンス。
やったらやった分だけが自分の報酬として返ってくる実力勝負の世界。
実力がありさえすれば、自分でやりたい仕事や、働く時期を選ぶことも出来ます。
しかし一方で力が無いことが露呈したり、失敗をしてしまったりすると、次回は招聘されることが無い、サッカーの選抜チームのような厳しい世界でもあります。
でもプロの世界とは本来そういうものであるべきだと思っていましたし、自分自身がそういう世界が好きでした。(たぶんそれが好きなことは今も変わらないです)

取りまとめをする経営の立場からしても、仕事の発生に対して必要な人員を集める形であれば、閑散期における待機要員や余剰人員を抱えなくて済みます。
つまり、通常は会計処理上、固定費に載せられる人件費が変動費となるのです。
また、福利厚生や管理事務、経理処理などは、それぞれのメンバーが各自で行うので、いわゆる管理コストもかけなくて済みます。
また、個々に支払われる報酬も、やった仕事がズバリですので、通常の会社では不可欠の人事評価も不要です。
やったことがある人はお分かりでしょうが、人事評価を厳正にやろうと思ったら、相当大変な労力を要します。とにかく正解というものが無い作業ですので、しっかりやろうと思えばきりのない作業なのです。
それが無いというだけでもかなり大きいですね。

ところが、このような考えは社員数が増え、また家族持ちの社員が増えてくるにつれてだんだんと薄れて行きました。
人間である以上、(最善を尽くしたという前提でも)まったく失敗しないということは無いわけで、うまくいかないことだってあります。
先に述べたような組織であれば、例えばPCを使って仕上げた仕事が納品前に、PCのクラッシュで無くなってしまった、という場合、報酬が支払われないのはもちろん、プロジェクトを失敗あるいは遅延させたということで損害の賠償請求を受ける可能性だってあるでしょう。
危機管理ができていない人、ということで次のプロジェクトに呼んでもらえる可能性は小さく、他の人に取って代わられることでしょう。
働く立場としてはとても不安な状態ですし、家族を持っていたりすれば尚更です。

しかし、いわゆる通常の会社であれば、まったく成果を上げられなかったという場合でもよっぽどのことでなければ、すぐに給与が支払われなくなることはありません。
つまりそれは、会社という組織を通じてではありますが、そのマイナス分を他の誰かが上げたプラス分で補っているわけですね。
もちろん、安穏としてそれに甘えることがあってはいけませんが、仲間同士助けあってチームとして成果を上げる組織の方が、長期的には大きな成果をあげられるのではないかと思うのです。
また、経費精算や給与計算、保険や納税手続など、雑多な事務管理業務に煩わされることもなく、自分の本来の仕事だけに専念できることも大きいですね。
それこそが会社であることのメリットであり、強みだと思うようになったのです。

いま、私が理想だと思う組織は、
One for all. All for one
( 1人は、みんなのために。 みんなは、1人のために)
という精神に基づいた組織です。

Allを「みんな」から「チーム(会社)」に置き換えるとしっくり来ます。
1人は、チームのために。 チームは、1人のために
「個」で勝つのではなく、「チーム」をして勝つ。

つまり、前述した組織では組織内「競争」の原理が働くのに対して、このチームでは「協力」がその原動力になります。

一人一人が最善の努力をつくし、チームはその一人一人を助ける。
チームは必ず助け合っており、自分も必ず助けられているのだ、ということを忘れてはならなず、だからこそみんなのために最善を尽くそうと考える。
それが理想です。

さて、この理想の組織を回していくためには、団体スポーツの監督のように、適材適所の配置をすることと、もうひとつ重要でかつ大変な作業があります。
前述した、人事評価です。
助け合うチームだからといって、それぞれが異なる成果を上げているのにその報酬が平等に同額でというのはおかしいと思います。
力がある人はそれが発揮できる立場につかせ、頑張って成果を上げた人はそれにふさわしい評価をしなければなりません。

したがって、できる限り厳正な評価が必要です。

ということで、いままさに取組中である、4月からの給与改定と夏賞与の人事評価と面談をしっかりとやろうと思います。

2012年3月31日 (土)

仕事とはアウトプットである

※今回の記事は、以前朝礼で話した内容を、社員向けに再確認の意味で書いています。ご了承ください。
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よく、仕事ができる人とか、仕事ができない人ということがあります。

みなさんは、自分が仕事ができると思っていますか?
是非できると思っていてもらいたいものですが、そもそも仕事ができるというのはどういうことなのでしょうか。

それを考えるためには、仕事とは何かということの理解がポイントになります。
そこで、当社の「仕事」という言葉の定義をあらためて明確に説明しておきます。

まず、間違いなく言えることは、
仕事とはアウトプットであるということです。

つまり、一定の期間に産み出した価値の「品質と量の乗算」が仕事です。
相対的に見たときに、同期間内にたくさんの価値を出せた人が仕事が出来る人であり、それに対して少ない価値しか出せなかった人が仕事が出来ない人ということになります。

ここで大切なのは、
価値とは自分が認める価値ではなく、自分以外の他者にとって価値があると認められるアウトプットを出すことです。
また、その人が「出せる価値」ではなく、実際に「出した価値」であるということも大切です。
つまり能力ではなく実績です。
アウトプットしても、他者に認められない価値では、自己満足に過ぎず、また能力があってもそれを発揮し成果を上げなければ仕事ができる人とは言いません。

そして、認められる価値はアウトプットでありインプットではありません。
インプットは仕事ではありません。
何かを調べる、打合せをする等、インプットをしなければならない場面は少なくないと思います。
社内でのメールやチャットのやりとり、デザイナーの方が参考デザインを探すためにサイトを見ることなど、それが業務に関連ないものであれば論外ですが、必要であれば、当然やらなければなりません。
ただ、それ自体は仕事にはならないということも承知しておいてください。
仕事というアウトプットを出すために必要だから行う作業であって、仕事ではありません。

なるほど、たくさん勉強したね、よく調べたね、素晴らしい技術を習得したよね、内容の濃い会議ができたよね。
でも、それらのインプットをした結果、それでどうなったの?
それによってどんな価値を産み出したの?
ということが問われるのです。

インプットする代表例が学生です。
学校は教育を施すというサービスを提供し、学生は顧客として(多くの場合、親が、もしくは国が)お金を支払い、教育を受け取るわけです。
払ったお金以上の修得(インプット)をする学生もいますし、支払った額にまったく満たないだけしかインプット出来ない学生もいるでしょう。

社会人になるとこれが、逆になります。
どれだけ価値のあるアウトプットを出したかが、仕事ができるできないの評価です。
製品やサービスという何らかのアウトプットを提供することで、対価としてお金を頂くのが仕事なのだから当然です。
支払った額に見合わないインプットしか出来なかった学生は、親が嘆くだけですが、社会人では、もらう額に見合わないアウトプットしか出せないという状態は成立しません。

以前、このブログで、
プロの世界では努力は一切評価されない
という記事を書きました。
その際に書いた通り、個人的にはそこまでドライには考えませんが、プロは結果しか評価されないというのは本質的に考えても正しいと思います。

厳しいように聞こえるかもしれませんが、これらはすべて事実であり、物事の原理原則になっています。
逆に、今まで何度となくお話していることなので、よく分かっているよという人もいるかもしれませんが、今日以降その意識を全員が改めて持っていてください。

4月に給与改定がありますが、自分の給与が上がるのか下がるのか、
上がるのであればどういう理由で上がるのか
ということを考えておいてください。
ただし、去年と同じ事をしていたのでは上がるはずは無いという道理も理解しておいてください。

以上、よろしくお願いします。

2012年1月13日 (金)

人間は何のために生きてんのかな

昨年の暮れから正月休みにかけて映画をいくつか観ました。

 

50歳を前にしてあれほどのアクションが演じられるトム・クルーズ(Mission: ImpossibleーGhost Protocol)も素晴らしかったけれど、DVDで観た、寅さんの「男はつらいよ 第39作 寅次郎物語」の中に素晴らしい台詞があったので、記しておきます。

 

映画の終盤、寅さんの甥っ子、満男(吉岡秀隆さん)が、寅さん(渥美清さん)を駅まで送るシーンで尋ねます。

 

(満男)伯父さん

 

(寅さん)何だ?

 

(満男)人間ってさ

 

(寅さん)人間? 人間どうした

 

(満男)人間は何のために生きてんのかな

 

(寅さん)そんなぁ 難しいこと聞くなぁ えーっ

 

   うーん
   何ていうかな

 

   ほら

 

   あー 生まれてきてよかったなって思うことが
   何べんかあるじゃない

   ねっ

 

   そのために人間生きてんじゃねえのかな

 

(満男)ふーん

 

(寅さん)そのうちお前にもそういう時が来るよ うん
   まあ、頑張れ!

 

と言って、寅さんは駅の改札へと去っていくのですが、その後のシーンでテキ屋仲間に同じ質問をしてみたり、映画の中ほどに、好き放題に生きて女房と子供を遺して死んでしまったテキ屋仲間の位牌に向かって、酔っぱらいながら、「お前は何の為に生まれてきたんだ?」と問いかけたりするシーンがあったりと、「人間は何のために生きているのか」というのがこの作品の大きなテーマになっていたように思います。

 

寅さんの答えは、いかにも寅さんらしい言葉です。
じわっときますね。

 

これからも「生まれてきてよかったな」という喜びを味わえるように生きていこうと思います。

 

2011年10月 7日 (金)

「宇宙に衝撃をもたらさんと欲す」スティーブ・ジョブズ氏の言葉

アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。

その生き方、発した言葉に突き動かされることが多くあったので、とても悲しい気持ちですが、彼が遺した意志はこれからも残り、発展し続けるでしょう。

さて、彼が遺した言葉の中でも、最も有名なのが、

ハングリーであれ。馬鹿であれ。
(Stay Hungry. Stay Foolish.)

だと思います。

以前、このブログで、この言葉に関する記事を書きましたが、昨日からとても多くの人に見ていただいているようです。

また、最近、

欲は善(Greed is good)

という記事も書きましたが、考えてみれば、

ハングリーとは、つまり貪欲 という意味です。

ジョブズ氏が成し遂げた偉業は、この人並み外れた貪欲さにあったことは間違いないでしょう。

「宇宙に衝撃をもたらさんと欲す」

というのは、彼が良く口にしていたという言葉なのだそうです。
彼の欲の壮大さが分かります。

Steve_jobs

Apple社のサイトより引用(2011年10月6日)

2011年9月22日 (木)

自社メディアとしてのWebサイト

私たちの会社では、コミュニケーション手段の提供業として、名刺の作成販売やWebサイト及びそれを下支えするシステムの構築を行っていますが、この仕事の意義や必要性は今の時代だからこそと高まっていると思っています。

組織としてではなく個人がWebサイトを作り情報発信することが特段に珍しくなくなってきたのは、1997年くらいからではないかと思いますが、掲示板やブログなどさらに手軽に情報発信が出来る仕組みによって、個人が簡単に情報発信をする機会というものが飛躍的に増えたと思います。

それまでは個人の意見や考えを不特定多数に発表する機会は、出版をするかテレビやラジオなどに出演するしかありませんでしたし、それだってそう簡単に出来ることでは無かったわけですから、それを考えると、自分のコントロール下で好きな表現が出来るということはとても素晴らしいことだと思います。
現在では、SNSやtwitterように、さらに簡単に発信出来る手段が増えています。

この恩恵は個人だけではないく、会社などの組織も積極的に利用すべきだと思います。
私たちの会社では、以前から受託によるWebサイトやシステムの構築を行って来ましたが、2004年頃からは、CMS(コンテンツマネジメントシステム)を使った制作に移行し、現在では、ほとんどがCMSによる構築になっています。
それまでは、数百ページ、数千にわたるページを1ページずつコーディングしていくという作業があったのですが、現在ではテキストや画像等のコンテンツをまとめて流しこむという単純作業になりました。

さらに数年前からは、CMSのシステム自体をパッケージとして販売する形態に変えて行きましたので、現在では多くのクライアントでクライアント自身がサイトを更新していくようになりました。
当然、当社にとっては、それまでいただいていた、都度更新の収入が減少したという側面はありますが、その代わりにライセンス費用という固定収入としていただけるようになり、現在ではそのような売上が全体のほぼ半分にまでなってきました。

クライアント側としても、今までは更新の必要が発生した都度、依頼事項をまとめて制作会社に委託していたものが自分たちで出来るようになったため、情報を発信するまでの時間や労力、費用の大きな削減になっています。
また、CGM(Consumer Generated Media)の言葉に表されるように、昔は製造業者、その後流通業者に移った商品やサービスに関する情報を司る主導権は、いまや消費者にあるという流れは間違いのないところですから、消費者に最も近いところ、あるいは消費者とともに作っていける自社メディアの重要さはどんどん増していきます。

この、自分たちでWebメディアを持ち、情報発信をしていくという流れは変わらないでしょう。すでに自社メディアとして活用できる仕組みはCMSに限らず、ブログのカスタマイズやFacebookページ、mixiページなどいくらでもありますので積極的に利用するべきです。

一方、受託の事業はサイトを構築していくことではなく、そのサイト活用してどのような成果をあげられるのかというプロデュース能力とマーケティング能力を持った会社でないと、さらにきつくなっていきますので、そちらの専門性を高めて行かないとなりませんね。

管理者の負担を減らし、ユーザーを満足させるCMS
アーティスCMS

自分で簡単にWebサイトを作ることが出来る
簡単ホームページ作成システム Lappe

2011年9月15日 (木)

ノーサイド(NO SIDE)の精神について

野田総理が民主党代表選に勝利した際に使ったことで初めて知ったという人もあると思いますが、ノーサイドとはラグビーの精神を表す言葉です。

 

つまり、戦い(試合)が終わるホイッスルを主審が鳴らしたらノーサイド、つまりサイド(陣地)を分けず、敵と味方の区分けを無くすということです。

 

 

 

ところがこの「ノーサイド」という言葉が通じるのは日本だけであることを、少し前の新聞の記事で知りました。
家でとっている中日新聞の夕刊にある「スポーツが呼んでいる」というスポーツライターの藤島大さんが書かれているコラムにあった内容からです。
(中日新聞 夕刊 2011年9月6日付け(だと思う))

 

 

 

3年前、ラグビー誌で藤島氏が司会をした対談があり、元ニュージーランド代表のジョナ・ロムー氏、豪州代表のエディー・ジョーンズ元監督とジョージ・グレーガン元主将、そして当時サントリーの監督であった清宮克幸氏の出席の中、ロムー氏が

 

「ラグビーがユニークなのは激しく戦った相手とフィールド外で友情を結び、長く続くところでしょう」

 

と述べたところ、清宮氏が、

 

「ノーサイドの精神ですね」

 

と返した。
ところが、ロムー氏も他の二人もポカンとし、ジョーンズ元監督が、

 

「初めて聞く言葉です」

 

と答えたということがあったのだそうです。

 

 

 

 

では、ノーサイドが日本発の言葉であるかというとそういうことでもなく、1991年にNZで編まれた「ラグビー百科事典」には、

 

 

 

[ NO SIDE【古語】 試合の終了を意味する ]

 

 

 

と記されているとのことです。
ただ、その表記を見る限りは、精神的な意味で使われるものでは無いようですね。

 

 

 

いつから日本でノーサイドという言葉が、これほどの意味を持って使われるようになったのかは分かりませんが、先のロムー氏の発言も同一の精神であることには変わりなく、イギリス発祥のこのスポーツは「紳士のスポーツ」と称される通り、フェアな精神で精一杯のプレーするからこそ、敵味方に関係なく相手を称えるということができるのだと思います。

 

 

 

(おおよそフェアなプレーをしているとは多くの人が思っていないだろう)政治の世界で、「ノーサイド」という言葉を使われることに違和感や不快感を持っている人も少なくない思いますが、ひとえに「この国のため」という純粋な気持ちで存分に働くということであれば党派や敵味方を超えて、その精神を発揮してもらいたいとそう思います。

2011年8月19日 (金)

欲は善(Greed is good)

玄関で飼っているスズムシが元気よく鳴いている。
もらってきた時は小さなゴキブリの赤ちゃんのようだったが、鰹節やナスなどをモリモリ食べて、みるみる間に大きくなり、オスは美しい音で鳴き、メスは ”ぷっくり” と立派な体格になった。
オスのスズムシが鳴くのは、メスを呼び寄せ自らの遺伝子を残そうとする欲求であり、メスが栄養を蓄えるのも、丈夫な卵を残そうとする欲求である。
今年は数が少ないと言われているらしいセミが、それでもうるさいほど元気に鳴いているのも同様の理由である。

考えてみると、他の生き物が生きて行くのと同様、人間が生きて行くのも、その原動力は「欲」なのかもしれないと思う。人間は他の生き物よりもすこし複雑なだけで。
生存欲求はもちろん、自分が成長したいと願うのも、地位を求めるのも、よりよい環境をつくろうとするのも、賞賛されたい、愛されたいと思うのも、何かを創りたいと思うことも、さらには、誰かのために貢献したいと思うことも、すべて「欲」なのだと思う。
そして、それが今の文明社会を築いていきたのだ。

一般的に「欲」という言葉のイメージはあまり良くない。
「欲深い」とか「強欲」とか言われる。
人に迷惑をかけるような「欲」ではその通りであろうが、建設的で「正しい欲(という言葉があるか知らないが)」であれば、それこそが人間が生きる推進力となり、未来を切り拓いていくのではないかと改めて考える。

.

さて、タイトルの言葉 ”欲は善(Greed is good)” は、映画「ウォール街」の中で登場する言葉である。

マイケル・ダグラス扮する金融界の大物、ゴードン・ゲッコーが、株の買い占めを進めた、テルダー製紙という会社の株主総会に乗り込み演説するシーンで出てくる。

この言葉は、1980年代に名を馳せた、実在の大物投資家で、映画のゴードン・ゲッコーのモデルとなった、アイヴァン・ボウスキー(Ivan Boesky)のカリフォルニア大学バークレー校でのスピーチ

I think greed is healthy. You can be greedy and still feel good about yourself.

を基にしているのだが、ここでのマイケル・ダグラスの演技は秀逸である。

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忘れないでください
言葉は悪いかもしれませんが
”欲”は善です

”欲”は正しい
”欲”は導く
”欲”は物事を明確にし
道を開き
発展の精神を磨き上げます

”欲”には いろいろあります
生命欲 金銭欲 愛欲 知識欲
人類進歩の推進力です

”欲”こそ・・・

見てて下さい

テルダー製紙だけでなく
”株式会社 USA”を
立て直す力です!

(戸田奈津子さん翻訳の字幕から)
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このシーンは、映画の主題として重要なシーンでもあり、演じるマイケル・ダグラスの、株主を魅了するスピーチ、そして意図したのかどうかさえも分からない、ほんの微かな胡散臭さも素晴らしかった。

.

今、この国の若者は、その欲望のエネルギーが小さくなってきているように感じる。
無気力、無感動、無関心と評されていた昔よりも、さらにエネルギーが弱くなっているように感じる。
それが、この国自体のエネルギーを喪失している原因なのだろうか。

日本は元気がなくても、BRICsやVISTAに代表される、新興国は欲望とエネルギーに溢れているように見える。
グローバルな世界では、エネルギーが小さな国は、大きな欲望とエネルギーに容赦なく飲み込まれていく。

頑張れ日本の若者。

と同時に、欲が薄くなってきた自分自身にも言い聞かせることにする。

2011年8月11日 (木)

名刺にかける想い

当社では、インターネット通販で名刺の販売をしている、アーティス名刺工房というサイトを運営しています。

名刺の専門店 アーティス名刺工房

今年の6月で13周年を迎えたのですが、運営をしてきた中で思い出に残っているエピソードを紹介します。

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もう、5年くらい前のことなのですが、土曜日か日曜日、休日出勤で会社に出社していたある日、電話がかかってきました。
電話は、声からして70代くらいのお婆ちゃんからのようでした。

きつめの口調で「あなたのところから荷物が届いたんだけど何これ!?」
「何が入っているの!?」
と、いきなりまくしたてられて、間違い電話なのかと思いましたが、いろいろと聞いてみると、代引(代金引換郵便)で届いた商品を良く確認せず、お金を払ってしまったようで、送り状に書いてあった当社の電話番号に電話をしてきたということのようでした。

当時は、「オレオレ詐欺」などが流行っていた頃で、自分も騙されたのではないかというそんな思いで電話をされてきたようです。

そのころ、私はすでに名刺の直接の担当からは離れていたのですが、当社の中で、代引で届ける商品は名刺しかありませんので、
「ひょっとして、送り状のところに名刺って書いてありませんか?」
と聞くと、しばらく間があって、

「ああ、名刺って書いてあるね・・・」

またしばらく間があって、
「ああ、名刺ね!ああそうかそうか!」

「いや、実は孫娘が自分で仕事を始めてね。ああ、それで名刺を頼んだんだね」
と、優しい口調に変わりました。

「まだ始めたところでね。ちゃんとやっていけるかみんな心配しているんですよ。そうですか、名刺ですか。仕事するのに必要ですからね。これで頑張れますよ」
というようなことを話されました。

「いやいや、ありがとうございました」
と何度もお礼を言われ、お婆ちゃんの、お孫さんの事を気遣う気持ちと、仕事を支えるツールである名刺を大切なものだと思ってくれている気持ちが、伝わってきて私も感激してしまいました。

仕事始めた当初は、いろいろな不安があると思います。
自分の名刺を初めて渡すときは緊張するのかも知れません。
そんな時に、私たちの作った名刺が、その人を支える小さな応援団のような役割を果たせられるとしたらそんな嬉しいことはありません。

名刺は「はじめまして」の場面で使われます。
そこからビジネスが始まり、また人間同士の新しい関係が出来たりします。
ひょっとしたら、生涯にわたる付き合いがそこから生まれるのかも知れません。

人と人の出会いに立ち会えるそんな名刺。
私たちはそれを作るという喜び、それをきっかけに良いビジネス、素晴らしい人間関係の一助になっているのではないかという喜びを噛み締めて、これからもこの仕事をしていこうと思います。

2011年6月 8日 (水)

プロの世界では「努力」は評価されない

今年の初めに読んだ本で「イッシューからはじめよ」という本が面白かった。
著者の安宅さんは、マッキンゼーを経て、ヤフーのCOO室長をされている方で、マッキンゼー時代に学習、経験した問題解決手法を基に書かれた本のようである。

「圧倒的に生産性の高い人」の知的生産手法について書かれており、少し乱暴ではあるが簡潔に言えば、課題解決はその解決の手法よりも、「イッシュー」と呼ばれる「問題」そのものの見極めに要点がある。としている。
とても良い本だと思うので興味があれば読んでいただきたいと思うが、本文の内容とは別に、この本で感銘を受け、赤線を引いたのが「あとがき」に書かれていた、以下の文章である。

.

プロフェッショナルの世界では「努力」は一切評価されない。

(中略)

すべての仕事は結果がすべてであり、この結果があるレベルの価値に達していないと、その仕事はいかなる価値ももたず、多くの場合マイナスになる。

.

その通りである。

付け加えるなら、レベルに達したとしても、決められた時間に間に合わなかった場合も同様だと思う。

どんなに「努力しました」「時間や労力を掛けました」「頑張りました」と言われても結果が出せていないのであれば評価のしようがない。
努力しているつもりでも結果が出せないのであれば、ただ単に「努力がまだ足りない」のか「努力の仕方が間違っている」かのどちらかである。
また、「突発的な問題が起きた」とか「PCが壊れてデータが消えてしまった」などで、間に合わなかったしても、(同情はしてくれるかも知れないが)ビジネス的には「備えが出来ていなかったんだね」で終わりである。

.

努力ではなく、結果のみで評価されるという事実は、フリーなど自分独りで仕事をしている人には分かりやすいのではないか。

クライアントに依頼された仕事で、要求されたレベル以下のものしか出せなかったら、代金は頂けないであろう。
仮にクライアントが ”いいクライアント” で、お情けで代金を貰えたとしても次回、依頼が来ることはないだろう。

納期に間に合わなかった場合も同様である。
厳しいところであれば、代金を貰えないどころか、「要求レベルに達していなかった」「納期に間に合わなかった」という理由で損害賠償請求をされることだってある。
これらのことは、業務委託契約書などを交わす場合には普通に書いてあることである。
それではといって余裕を持った納期を要望すれば、そもそも仕事自体が、他の出来る人のところに行ってしまうだけである。

本来、プロとして仕事をしていくことは非常に厳しいことである。
喰っていくためには結果を出さなければならないのだから。

ところが、組織の中で働いていると、この意識が希薄になりがちだ。
会社という傘のもと、責任や役割が分散されるためであるのだが、実は本質は何も変わらない。
組織の中の個人は、クライアントが会社を評価するのと同様、会社が個人を評価するということだ。

では「努力」は、まったく評価されないのだろうか。
これについて私は、一定の条件の基では評価すべきだと考える。
がむしゃらな「努力」や、その「姿勢」は周りの人に良い影響を与えると思うからだ。
団体競技などにおいては、ムードメーカー的な選手が、声を出し、走りまわることでチームに良い雰囲気が生まれ、勝負の流れを変えることがある。
そういった部分は評価してあげるべきだと思うのだ。

ただ、それは、組織の中においてのみ有効であり、また順番としては結果を出した上でということになる。
結果が出ていないのであれば、「努力」も「姿勢」は評価の対象にすらならないのである。

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