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2012年1月13日 (金)

人間は何のために生きてんのかな

昨年の暮れから正月休みにかけて映画をいくつか観ました。

 

50歳を前にしてあれほどのアクションが演じられるトム・クルーズ(Mission: ImpossibleーGhost Protocol)も素晴らしかったけれど、DVDで観た、寅さんの「男はつらいよ 第39作 寅次郎物語」の中に素晴らしい台詞があったので、記しておきます。

 

映画の終盤、寅さんの甥っ子、満男(吉岡秀隆さん)が、寅さん(渥美清さん)を駅まで送るシーンで尋ねます。

 

(満男)伯父さん

 

(寅さん)何だ?

 

(満男)人間ってさ

 

(寅さん)人間? 人間どうした

 

(満男)人間は何のために生きてんのかな

 

(寅さん)そんなぁ 難しいこと聞くなぁ えーっ

 

   うーん
   何ていうかな

 

   ほら

 

   あー 生まれてきてよかったなって思うことが
   何べんかあるじゃない

   ねっ

 

   そのために人間生きてんじゃねえのかな

 

(満男)ふーん

 

(寅さん)そのうちお前にもそういう時が来るよ うん
   まあ、頑張れ!

 

と言って、寅さんは駅の改札へと去っていくのですが、その後のシーンでテキ屋仲間に同じ質問をしてみたり、映画の中ほどに、好き放題に生きて女房と子供を遺して死んでしまったテキ屋仲間の位牌に向かって、酔っぱらいながら、「お前は何の為に生まれてきたんだ?」と問いかけたりするシーンがあったりと、「人間は何のために生きているのか」というのがこの作品の大きなテーマになっていたように思います。

 

寅さんの答えは、いかにも寅さんらしい言葉です。
じわっときますね。

 

これからも「生まれてきてよかったな」という喜びを味わえるように生きていこうと思います。

 

2011年10月 7日 (金)

「宇宙に衝撃をもたらさんと欲す」スティーブ・ジョブズ氏の言葉

アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。

その生き方、発した言葉に突き動かされることが多くあったので、とても悲しい気持ちですが、彼が遺した意志はこれからも残り、発展し続けるでしょう。

さて、彼が遺した言葉の中でも、最も有名なのが、

ハングリーであれ。馬鹿であれ。
(Stay Hungry. Stay Foolish.)

だと思います。

以前、このブログで、この言葉に関する記事を書きましたが、昨日からとても多くの人に見ていただいているようです。

また、最近、

欲は善(Greed is good)

という記事も書きましたが、考えてみれば、

ハングリーとは、つまり貪欲 という意味です。

ジョブズ氏が成し遂げた偉業は、この人並み外れた貪欲さにあったことは間違いないでしょう。

「宇宙に衝撃をもたらさんと欲す」

というのは、彼が良く口にしていたという言葉なのだそうです。
彼の欲の壮大さが分かります。

Steve_jobs

Apple社のサイトより引用(2011年10月6日)

2011年9月22日 (木)

自社メディアとしてのWebサイト

私たちの会社では、コミュニケーション手段の提供業として、名刺の作成販売やWebサイト及びそれを下支えするシステムの構築を行っていますが、この仕事の意義や必要性は今の時代だからこそと高まっていると思っています。

組織としてではなく個人がWebサイトを作り情報発信することが特段に珍しくなくなってきたのは、1997年くらいからではないかと思いますが、掲示板やブログなどさらに手軽に情報発信が出来る仕組みによって、個人が簡単に情報発信をする機会というものが飛躍的に増えたと思います。

それまでは個人の意見や考えを不特定多数に発表する機会は、出版をするかテレビやラジオなどに出演するしかありませんでしたし、それだってそう簡単に出来ることでは無かったわけですから、それを考えると、自分のコントロール下で好きな表現が出来るということはとても素晴らしいことだと思います。
現在では、SNSやtwitterように、さらに簡単に発信出来る手段が増えています。

この恩恵は個人だけではないく、会社などの組織も積極的に利用すべきだと思います。
私たちの会社では、以前から受託によるWebサイトやシステムの構築を行って来ましたが、2004年頃からは、CMS(コンテンツマネジメントシステム)を使った制作に移行し、現在では、ほとんどがCMSによる構築になっています。
それまでは、数百ページ、数千にわたるページを1ページずつコーディングしていくという作業があったのですが、現在ではテキストや画像等のコンテンツをまとめて流しこむという単純作業になりました。

さらに数年前からは、CMSのシステム自体をパッケージとして販売する形態に変えて行きましたので、現在では多くのクライアントでクライアント自身がサイトを更新していくようになりました。
当然、当社にとっては、それまでいただいていた、都度更新の収入が減少したという側面はありますが、その代わりにライセンス費用という固定収入としていただけるようになり、現在ではそのような売上が全体のほぼ半分にまでなってきました。

クライアント側としても、今までは更新の必要が発生した都度、依頼事項をまとめて制作会社に委託していたものが自分たちで出来るようになったため、情報を発信するまでの時間や労力、費用の大きな削減になっています。
また、CGM(Consumer Generated Media)の言葉に表されるように、昔は製造業者、その後流通業者に移った商品やサービスに関する情報を司る主導権は、いまや消費者にあるという流れは間違いのないところですから、消費者に最も近いところ、あるいは消費者とともに作っていける自社メディアの重要さはどんどん増していきます。

この、自分たちでWebメディアを持ち、情報発信をしていくという流れは変わらないでしょう。すでに自社メディアとして活用できる仕組みはCMSに限らず、ブログのカスタマイズやFacebookページ、mixiページなどいくらでもありますので積極的に利用するべきです。

一方、受託の事業はサイトを構築していくことではなく、そのサイト活用してどのような成果をあげられるのかというプロデュース能力とマーケティング能力を持った会社でないと、さらにきつくなっていきますので、そちらの専門性を高めて行かないとなりませんね。

管理者の負担を減らし、ユーザーを満足させるCMS
アーティスCMS

自分で簡単にWebサイトを作ることが出来る
簡単ホームページ作成システム Lappe

2011年9月15日 (木)

ノーサイド(NO SIDE)の精神について

野田総理が民主党代表選に勝利した際に使ったことで初めて知ったという人もあると思いますが、ノーサイドとはラグビーの精神を表す言葉です。

 

つまり、戦い(試合)が終わるホイッスルを主審が鳴らしたらノーサイド、つまりサイド(陣地)を分けず、敵と味方の区分けを無くすということです。

 

 

 

ところがこの「ノーサイド」という言葉が通じるのは日本だけであることを、少し前の新聞の記事で知りました。
家でとっている中日新聞の夕刊にある「スポーツが呼んでいる」というスポーツライターの藤島大さんが書かれているコラムにあった内容からです。
(中日新聞 夕刊 2011年9月6日付け(だと思う))

 

 

 

3年前、ラグビー誌で藤島氏が司会をした対談があり、元ニュージーランド代表のジョナ・ロムー氏、豪州代表のエディー・ジョーンズ元監督とジョージ・グレーガン元主将、そして当時サントリーの監督であった清宮克幸氏の出席の中、ロムー氏が

 

「ラグビーがユニークなのは激しく戦った相手とフィールド外で友情を結び、長く続くところでしょう」

 

と述べたところ、清宮氏が、

 

「ノーサイドの精神ですね」

 

と返した。
ところが、ロムー氏も他の二人もポカンとし、ジョーンズ元監督が、

 

「初めて聞く言葉です」

 

と答えたということがあったのだそうです。

 

 

 

 

では、ノーサイドが日本発の言葉であるかというとそういうことでもなく、1991年にNZで編まれた「ラグビー百科事典」には、

 

 

 

[ NO SIDE【古語】 試合の終了を意味する ]

 

 

 

と記されているとのことです。
ただ、その表記を見る限りは、精神的な意味で使われるものでは無いようですね。

 

 

 

いつから日本でノーサイドという言葉が、これほどの意味を持って使われるようになったのかは分かりませんが、先のロムー氏の発言も同一の精神であることには変わりなく、イギリス発祥のこのスポーツは「紳士のスポーツ」と称される通り、フェアな精神で精一杯のプレーするからこそ、敵味方に関係なく相手を称えるということができるのだと思います。

 

 

 

(おおよそフェアなプレーをしているとは多くの人が思っていないだろう)政治の世界で、「ノーサイド」という言葉を使われることに違和感や不快感を持っている人も少なくない思いますが、ひとえに「この国のため」という純粋な気持ちで存分に働くということであれば党派や敵味方を超えて、その精神を発揮してもらいたいとそう思います。

2011年8月19日 (金)

欲は善(Greed is good)

玄関で飼っているスズムシが元気よく鳴いている。
もらってきた時は小さなゴキブリの赤ちゃんのようだったが、鰹節やナスなどをモリモリ食べて、みるみる間に大きくなり、オスは美しい音で鳴き、メスは ”ぷっくり” と立派な体格になった。
オスのスズムシが鳴くのは、メスを呼び寄せ自らの遺伝子を残そうとする欲求であり、メスが栄養を蓄えるのも、丈夫な卵を残そうとする欲求である。
今年は数が少ないと言われているらしいセミが、それでもうるさいほど元気に鳴いているのも同様の理由である。

考えてみると、他の生き物が生きて行くのと同様、人間が生きて行くのも、その原動力は「欲」なのかもしれないと思う。人間は他の生き物よりもすこし複雑なだけで。
生存欲求はもちろん、自分が成長したいと願うのも、地位を求めるのも、よりよい環境をつくろうとするのも、賞賛されたい、愛されたいと思うのも、何かを創りたいと思うことも、さらには、誰かのために貢献したいと思うことも、すべて「欲」なのだと思う。
そして、それが今の文明社会を築いていきたのだ。

一般的に「欲」という言葉のイメージはあまり良くない。
「欲深い」とか「強欲」とか言われる。
人に迷惑をかけるような「欲」ではその通りであろうが、建設的で「正しい欲(という言葉があるか知らないが)」であれば、それこそが人間が生きる推進力となり、未来を切り拓いていくのではないかと改めて考える。

.

さて、タイトルの言葉 ”欲は善(Greed is good)” は、映画「ウォール街」の中で登場する言葉である。

マイケル・ダグラス扮する金融界の大物、ゴードン・ゲッコーが、株の買い占めを進めた、テルダー製紙という会社の株主総会に乗り込み演説するシーンで出てくる。

この言葉は、1980年代に名を馳せた、実在の大物投資家で、映画のゴードン・ゲッコーのモデルとなった、アイヴァン・ボウスキー(Ivan Boesky)のカリフォルニア大学バークレー校でのスピーチ

I think greed is healthy. You can be greedy and still feel good about yourself.

を基にしているのだが、ここでのマイケル・ダグラスの演技は秀逸である。

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忘れないでください
言葉は悪いかもしれませんが
”欲”は善です

”欲”は正しい
”欲”は導く
”欲”は物事を明確にし
道を開き
発展の精神を磨き上げます

”欲”には いろいろあります
生命欲 金銭欲 愛欲 知識欲
人類進歩の推進力です

”欲”こそ・・・

見てて下さい

テルダー製紙だけでなく
”株式会社 USA”を
立て直す力です!

(戸田奈津子さん翻訳の字幕から)
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このシーンは、映画の主題として重要なシーンでもあり、演じるマイケル・ダグラスの、株主を魅了するスピーチ、そして意図したのかどうかさえも分からない、ほんの微かな胡散臭さも素晴らしかった。

.

今、この国の若者は、その欲望のエネルギーが小さくなってきているように感じる。
無気力、無感動、無関心と評されていた昔よりも、さらにエネルギーが弱くなっているように感じる。
それが、この国自体のエネルギーを喪失している原因なのだろうか。

日本は元気がなくても、BRICsやVISTAに代表される、新興国は欲望とエネルギーに溢れているように見える。
グローバルな世界では、エネルギーが小さな国は、大きな欲望とエネルギーに容赦なく飲み込まれていく。

頑張れ日本の若者。

と同時に、欲が薄くなってきた自分自身にも言い聞かせることにする。

2011年8月11日 (木)

名刺にかける想い

当社では、インターネット通販で名刺の販売をしている、アーティス名刺工房というサイトを運営しています。

名刺の専門店 アーティス名刺工房

今年の6月で13周年を迎えたのですが、運営をしてきた中で思い出に残っているエピソードを紹介します。

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もう、5年くらい前のことなのですが、土曜日か日曜日、休日出勤で会社に出社していたある日、電話がかかってきました。
電話は、声からして70代くらいのお婆ちゃんからのようでした。

きつめの口調で「あなたのところから荷物が届いたんだけど何これ!?」
「何が入っているの!?」
と、いきなりまくしたてられて、間違い電話なのかと思いましたが、いろいろと聞いてみると、代引(代金引換郵便)で届いた商品を良く確認せず、お金を払ってしまったようで、送り状に書いてあった当社の電話番号に電話をしてきたということのようでした。

当時は、「オレオレ詐欺」などが流行っていた頃で、自分も騙されたのではないかというそんな思いで電話をされてきたようです。

そのころ、私はすでに名刺の直接の担当からは離れていたのですが、当社の中で、代引で届ける商品は名刺しかありませんので、
「ひょっとして、送り状のところに名刺って書いてありませんか?」
と聞くと、しばらく間があって、

「ああ、名刺って書いてあるね・・・」

またしばらく間があって、
「ああ、名刺ね!ああそうかそうか!」

「いや、実は孫娘が自分で仕事を始めてね。ああ、それで名刺を頼んだんだね」
と、優しい口調に変わりました。

「まだ始めたところでね。ちゃんとやっていけるかみんな心配しているんですよ。そうですか、名刺ですか。仕事するのに必要ですからね。これで頑張れますよ」
というようなことを話されました。

「いやいや、ありがとうございました」
と何度もお礼を言われ、お婆ちゃんの、お孫さんの事を気遣う気持ちと、仕事を支えるツールである名刺を大切なものだと思ってくれている気持ちが、伝わってきて私も感激してしまいました。

仕事始めた当初は、いろいろな不安があると思います。
自分の名刺を初めて渡すときは緊張するのかも知れません。
そんな時に、私たちの作った名刺が、その人を支える小さな応援団のような役割を果たせられるとしたらそんな嬉しいことはありません。

名刺は「はじめまして」の場面で使われます。
そこからビジネスが始まり、また人間同士の新しい関係が出来たりします。
ひょっとしたら、生涯にわたる付き合いがそこから生まれるのかも知れません。

人と人の出会いに立ち会えるそんな名刺。
私たちはそれを作るという喜び、それをきっかけに良いビジネス、素晴らしい人間関係の一助になっているのではないかという喜びを噛み締めて、これからもこの仕事をしていこうと思います。

2011年6月 8日 (水)

プロの世界では「努力」は評価されない

今年の初めに読んだ本で「イッシューからはじめよ」という本が面白かった。
著者の安宅さんは、マッキンゼーを経て、ヤフーのCOO室長をされている方で、マッキンゼー時代に学習、経験した問題解決手法を基に書かれた本のようである。

「圧倒的に生産性の高い人」の知的生産手法について書かれており、少し乱暴ではあるが簡潔に言えば、課題解決はその解決の手法よりも、「イッシュー」と呼ばれる「問題」そのものの見極めに要点がある。としている。
とても良い本だと思うので興味があれば読んでいただきたいと思うが、本文の内容とは別に、この本で感銘を受け、赤線を引いたのが「あとがき」に書かれていた、以下の文章である。

.

プロフェッショナルの世界では「努力」は一切評価されない。

(中略)

すべての仕事は結果がすべてであり、この結果があるレベルの価値に達していないと、その仕事はいかなる価値ももたず、多くの場合マイナスになる。

.

その通りである。

付け加えるなら、レベルに達したとしても、決められた時間に間に合わなかった場合も同様だと思う。

どんなに「努力しました」「時間や労力を掛けました」「頑張りました」と言われても結果が出せていないのであれば評価のしようがない。
努力しているつもりでも結果が出せないのであれば、ただ単に「努力がまだ足りない」のか「努力の仕方が間違っている」かのどちらかである。
また、「突発的な問題が起きた」とか「PCが壊れてデータが消えてしまった」などで、間に合わなかったしても、(同情はしてくれるかも知れないが)ビジネス的には「備えが出来ていなかったんだね」で終わりである。

.

努力ではなく、結果のみで評価されるという事実は、フリーなど自分独りで仕事をしている人には分かりやすいのではないか。

クライアントに依頼された仕事で、要求されたレベル以下のものしか出せなかったら、代金は頂けないであろう。
仮にクライアントが ”いいクライアント” で、お情けで代金を貰えたとしても次回、依頼が来ることはないだろう。

納期に間に合わなかった場合も同様である。
厳しいところであれば、代金を貰えないどころか、「要求レベルに達していなかった」「納期に間に合わなかった」という理由で損害賠償請求をされることだってある。
これらのことは、業務委託契約書などを交わす場合には普通に書いてあることである。
それではといって余裕を持った納期を要望すれば、そもそも仕事自体が、他の出来る人のところに行ってしまうだけである。

本来、プロとして仕事をしていくことは非常に厳しいことである。
喰っていくためには結果を出さなければならないのだから。

ところが、組織の中で働いていると、この意識が希薄になりがちだ。
会社という傘のもと、責任や役割が分散されるためであるのだが、実は本質は何も変わらない。
組織の中の個人は、クライアントが会社を評価するのと同様、会社が個人を評価するということだ。

では「努力」は、まったく評価されないのだろうか。
これについて私は、一定の条件の基では評価すべきだと考える。
がむしゃらな「努力」や、その「姿勢」は周りの人に良い影響を与えると思うからだ。
団体競技などにおいては、ムードメーカー的な選手が、声を出し、走りまわることでチームに良い雰囲気が生まれ、勝負の流れを変えることがある。
そういった部分は評価してあげるべきだと思うのだ。

ただ、それは、組織の中においてのみ有効であり、また順番としては結果を出した上でということになる。
結果が出ていないのであれば、「努力」も「姿勢」は評価の対象にすらならないのである。

2011年5月 9日 (月)

心霊写真か・・・? (・・)

少し前の出来事ではあるが、

用事を済まし、半地下に停めた車に戻ると・・・・

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誰も乗っているはずの無い車の

後ろの席に人影が・・・! (゜o゜;

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一瞬、ギクッとしたが・・・

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美人のようである。。。

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こういうことでした。

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2011年4月11日 (月)

「慣れる」ことと「画一化」への不安

3月11日の震災から一ヶ月が過ぎた。
当初に比べると、メディアの扱い方も、私たちの意識も少し変わってきたように思う。

そんな中、最近、実はとても怖いことではないかと感じることが二つある。
それは「慣れ」ということと「画一化された意識(空気)」である。

本来「慣れる」ということは、悪いことではない。
「慣れた」ことで油断して失敗する。とか、贅沢に「慣れる」というようにマイナスの意味で使われることもあるが、仕事に「慣れる」とか、不自由な生活にも「慣れる」というように、「慣れ」とは人間の適応能力の一つでもある。
ただ、「慣れ」は、場合によっては「麻痺」と紙一重だといっても良い。

当初、原発から放射性物質の流出が発生したという事実を知ったとき、私たちはそれを衝撃的に受け止めた。
しかし、シーベルトとかベクセルといった単位が耳慣れて来るにつれて、1000倍とか、何万倍とか言われても、当初ほどの衝撃を感じ無くなってきている。
メディアの扱いも小さくなった。
当初よりも重大な出来事や数値に対して驚かなくなってきている。つまりこれは「麻痺」してきているということではないだろうか。
もちろん過剰に反応することは論外だが、麻痺した状態では正しい判断が出来にくくなることも事実だろう。
これは、とても怖いことではないか。

もう一つの心配は、メディアの論調も私たちの意識にも、多様性が乏しくなってきたように感じることである。

少し前に、アエラという雑誌が「放射能が来る」という、表紙タイトルで販売をしたときに、「不安を煽るな!」ということで非難が殺到したそうだ。

しかし、
放射能(正しくは放射線だと思うが)は「実際に来ているのである」。
日本だけでなく、世界中に拡散している。
これは、間違いのない事実である。

もちろん、いたずらに不安を煽ることはしてはいけない。
アエラ(他のメディアに同様だが)についても、後ろには商業主義が付いて回るのは当然だろう。扇動的なコピーで多くの人に買ってもらいたいという意識がまったく無かったとも思わない。
ただ、それを理解した上でも、事実として起きた事象に対する多様な意見や考えはあるべきで、その発表を阻止しようとすることがあってはならないと考える。
(もちろん限度というものはあるけどね)
あくまでも、それを購入するかどうか、読むかどうか、どう受け止めるか、を決めるのは読者なのだから。

大昔のことであるが、J・F・ケネディ大統領が暗殺された事件で、アメリカのTVメディアは、その多くが亡き大統領の業績を振り返り、国民が哀悼の意を表している映像を伝えたのだが、その一方でそれとは逆のシーンも併せて放映した放送局があった。
それは、南部の小学校で先生が「ケネディ大統領が死亡しました」と伝えた瞬間、「子供たちが立ち上がって拍手をする」シーンだった。
ケネディが掲げた「人種融合政策」に対して、それほどまでも強い反対があったということなのだろうが、ひどい話である。

当然、不快に感じた人も多かったろうし非難も浴びただろう。
ただ、「そんな映像は放映するな」という人は、ひょっとしたら事実から目をそらしたいだけなのかもしれない。
もちろん見たくないものを見る必要はないのだが、それも度が過ぎれば、「自分にとって都合の良い事実だけを知りたい(逆に言えば、自分に都合の悪い事実は知らないでいたい)」とか「自分が受け入れやすい事実だけを知りたい」といった危険な状態になってしまうのではないかと思う。

心地のよい映像や、共感出来る内容へと恣意的に編集してしまえばそれはフィクションだ。
しかし、ジャーナリズムの本質とは、事実を正しく伝えることである。
全国民が悲しんでいるわけではない。喜んでいる国民も一方にはいるのだという「事実」を伝えようとするその姿にジャーナリストとしての良心と正義を感じた。

私たちの国は、多くの悲劇を生んだ戦争へと国をあげて突入してしまった過去を持つが、当時の、制限された情報や思想統制の時代から比べると、現代は、多くの情報を手に入れられ、自由で多様な意見や考え、思想を持ち、そして発表出来るようになったはずだ。

「事実」と「意図が加えられた情報」との違いを見極める力を持つこと。
真実から目をそらさずに正しい情報を手に入れ、その上で冷静にしっかりと自分の頭で考え、そして行動に移すこと。
それこそが大切であると思う。

2011年2月21日 (月)

仕事ができる人と、できない人

よく仕事が出来る人とか、出来ない人とか言うことがありますが、何をもってそう言えるのでしょうか。

対象となる仕事というのはあくまでも結果(アウトプット)で評価されます。
結果としてのアウトプットの量、品質が評価の対象となるわけです。
ということは、仕事が出来ない人というのは、アウトプットの量が少ないあるいは品質が低い人(アウトプットが出せないという人は論外である)ということになるわけですが、もう一つ考えなければならないのが、仕事の早さです。

つまり、アウトプットの質が高く、量も十分であったとしても、仕上げるまでの時間が遅かったら評価は落ちます。
芸術作品であれば、長い年数をかけた事自体が評価を高める場合もあるでしょうが、こと仕事である以上それはありません。
逆に、設定された期限に間に合わないようなことがあれば、評価ゼロどころか、それによる損失を考えるとマイナス評価になる場合もあるでしょう。

では、その早さというものに焦点を当てて考えてみましょう。
「はやい」という言葉は漢字にすると「早い」と「速い」とがあって、それぞれ意味が異なります。
例えば、東京から名古屋まで東名高速道路を走る場合、時速200キロで走れる車は「速い」わけですが、実際には途中で休憩をとったりした結果、5時間かけて到着するよりも、時速80キロでも、ノンストップで4時間半で着いた方が「早い」わけですね。

足の速いうさぎが、カメと競争して、途中で油断して昼寝をしている間に、カメのほうが先にゴールするという、有名なうさぎとカメの競争の話とまったく同じです。

一般的には、うさぎの方が「速いので」仕事ができそうに見えます。
しかし、実際はカメの方が先に成果を上げているわけですから、カメの方が仕事が出来るということになるわけです。

この例は、相対的な競争の話でしたが、仕事においてはいつでも期限というものがあります。
その期限は、誰かに指定される場合もあるでしょうが、自分自身で決められる場合もあるでしょう。(仕事が出来る人は、ある程度権限も持っており自分で期限を決められる人が多いように思います)
期限をきつめに設定し、さらにその期限よりも早く仕上げるというのが仕事が出来る人の特長です。早く仕上げた人は、次の仕事に取りかかっていきますので当然、多くのアウトプットを出すことが出来ます。
品質を担保した上で、定められた期間の中で、どれだけの量のアウトプットを出せるのか、あるいは、決められた質と量のアウトプットをどれだけ早く出せるのかが、仕事が出来る出来ないの評価になるのだと思います。

«今の仕事に最善を尽くすということ(日本一の草履取り)