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2013年6月 5日 (水)

決定と決断との違い

社長の最も重要な仕事に、「決定」と「決断」があります。
この「決定」と「決断」は、決めるという点ではよく似ていますが、その重さにおいてはまったく違うと思います。

辞書を引いてみると
------------------------------------------------------------
【決定】
はっきりときめること(広辞苑)
はっきり決めること(岩波国語辞典)
〔ひとつの方向に〕き・め(ま)ること(三省堂国語辞典)
------------------------------------------------------------
【決断】
きっぱりときめること(広辞苑)
きっぱり決めること(岩波国語辞典)
何かをするために、はっきり心をきめること(三省堂国語辞典)
------------------------------------------------------------

と、それほど大きな違いは感じません。

しかしながら、漢字をみてみると

「決定」は、定めることを決める

それに対し

「決断」は、断ることを決める

のであり、
大きな違いを感じます。

「決定」には、方向を「定」めるようなニュアンスがあるため、例えば、AからEまでの5つの選択肢に対して、AとCとDの3つを行うという「決定」もあるかもしれませんが、
「決断」には、複数を選ぶというケースは考えにくいです。

基本が択一(一つしか選べない)であり、そもそもが選択肢がたくさんあるケースでは「決断」とは言わないように思います。

つまり、「決断」とは基本的に二者択一であり、「やるか、やらないか」「進むか、戻るか」といったような場面。しかも、間違った方を選んでしまうと窮地に追い込まれるような状況で行われるものだと思います。

ですから、決断の方は、一度決めたら(ときには命をかけて)徹底的に行うものであり、そう考えると、決断の「断」とは退路を断つことだ、とも言えると思います。

さらに言えば、決定の場合には、それぞれの選択肢のメリットとデメリットがある程度見えている状況だと思いますが、決断の場面ではまったく見えない状況も多いと思います。

社長とは、経済に関する危険を伴う意志決定をする人のことですから、その判断次第で、会社を成長させ、あるいは逆に危うくさせます。

「決断」をしなければならない場面は、そうそうあるものではないと思いますが、いざその時に、正しい決断が出来るように自己研鑚を積み重ねていきます。

関連する記事
決定と決断
ただ一燈を頼め

2013年6月 4日 (火)

メルセデス・ベンツのCMその2 'Sunday driver'

前回に続き、メルセデスのCMで面白いものをもう一本。

 

Sunday driver(サンデードライバー)とは、サンデーつまり休日である日曜日くらいしか車の運転をしないというところから、運転が稚拙な人を揶揄する言葉です。

 

 

Mercedes-Benz.tv: TV spot 'Sunday driver'

でも、「サンデードライバー!」と嘲笑気味に言う男性も、言われて笑みを返す男性も、F1ドライバーですよね。。。

 

ミカ・パウリ・ハッキネン(Mika Pauli Häkkinen)
ミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher)

 

本国、ドイツでは、Sonntagsfahrer と言うようです。

 

Mercedes-Benz.tv: TV-Spot "Sonntagsfahrer"

関連する記事
車の運転は上手くありたい

2013年5月28日 (火)

メルセデス・ベンツのCM 'Sorry'

前回の記事で悪魔が登場する話を書いたので思い出したのですが
メルセデス・ベンツのこのCMは、なかなか秀逸です。

 

最近、日本でも、レーダー搭載でぶつからない車の効果を、各社いろいろな工夫をして伝えようとしていますが、これほどウイットにとんだCMは無いですね。

 

メルセデスを運転していて、ふと気がつくと助手席に悪魔(というか死神だね、たぶん)が乗っていたという、'Sorry' (すまんね) というタイトルのCMです。

最後の死神の残念そうな顔がたまりません。

2013年5月27日 (月)

いのちとはあなたが使える時間のことです

昔、ある村に悪魔がやってきて、

「今晩、この村にあるものすべてを俺がもらっていくぞ」

と言ったそうな。

「ただし、悪魔にも情けはある。一人につきひとつづつだけは残してやろう」

とも言ったので、
村人たちは、「俺は金だ」「私は着物だ」「宝石だ」「食い物だ」と口々に叫んでそれを抱きしめて寝たのだけれど、翌朝になってみると、たった1人を残して、誰も村からいなくなってしまったそうです。

そうです。残った1人以外は、最も大切な「いのち」を残してもらうことを願わなかったからです。
どんな財産も、いやこの世にあるすべてのもの何であっても、死んでしまえば、無いと同じですからね。

私もそうですが、多くの人は、いま生きているのことをさほど不思議だとは思わず、当たり前だと思っているので、普段はその生命の大切さを省みることも少なく、いざ事故にあったり、危険な目にあったり、大きな病にかかったりして初めてその大切さを噛み締めるというものではないでしょうか。

「時間」についても同様です。

「いのち」と同じように、あるのが当たり前のものだからと、その大切さを意識しないで無駄に費やしてしまう事が多くはないでしょうか。

しかし「時間」とは「いのち」と同じように最も大切なものなのです。
なぜなら「いのち」とは「時間」のことであり、厳密に言えば「その人が持っている時間」のことだからです。

生まれてから死ぬまでの時間のことを「寿命」と言いますが、まさに「時間」とは「いのち」のことなのです。

だから「時間」をどう使うか、ということは、「いのち」をどう使うか、ということであり、「どのように生きるのか」ということは「どのように時間を使うか」と同義です。

明治維新の頃の志士たちは、その多くが若くして亡くなっていますが、その生き様は心を打ちます。

短いながらも、その時間を、自分の名誉や金といった私利私欲のためではなく、純粋にこの世の中を素晴らしいものにするという志のために使ったからですね。

どのように時間を使ったかが、その人の人生になるのだということをあらためてしっかりと自覚しようと思います。

.

今年102歳になられる、聖路加国際病院理事長の日野原重明先生の書かれた「いのちの授業」という本は、子ども向けに書かれた本ですが、本の帯に「いのちとはあなたが使える時間のことです」とある通り「いのちとは何か」「いのちをどう使うのか」といったことが書かれているとても素晴らしい本です。


「自分はどのように生きるべきなのか」ということは、子どもよりも、実は大人になってからのほうが悩むことが多いのではないでしょうか。
生き方のヒントを与えてくれる本です。

関連する記事
なんのために生きるのか(アウトプットと貢献)

2013年5月21日 (火)

ジッパ・ディ・ドゥー・ダー(Zip-A-Dee-Doo-Dah )

 何かのメロディが頭の中でリフレインしていて、つい口ずさんでしまうという経験はありませんか?

私の場合は、気に入った曲があるとしばらくの間、そんな状態になります。
ある程度の期間がたつと違う曲に変わっていき、最近の流行歌の場合もありますが、童謡になったり、モーツァルトのようなクラシックになったり、昔のハードロックになったりとジャンルも年代も見事にバラバラで変わっていきます。

 

そんな中、最近頭をリフレインしている曲が、ジッパ・ディ・ドゥー・ダー(Zip-A-Dee-Doo-Dah )です。
ディズニーランドの、スプラッシュマウンテンで流れている曲ですね。

 

 

日本語の歌詞には何種類かあるようですが、私が持っているディズニーのCDにある歌詞は以下の通りです。

 

------------------------------------------------------------

 

ジッパ・ディ・ドゥー・ダー
ジッパ・ディ・エイ!
こりゃなんともいい日だ
太陽がひかり
ジッパ・ディ・ドゥー・ダー
ジッパ・ディ・エイ!

 

ほら見てくれ 青い鳥がね!
肩にとまりに来たよ
ジッパ・ディ・ドゥー・ダー
ジッパ・ディ・エイ!
素晴らしいワンダフルディ

 

------------------------------------------------------------
なんとも素晴らしいお祝いの日を感じさせる唄ですね。

 

ところで、このジッパ・ディ・ドゥー・ダー(Zip-A-Dee-Doo-Dah)とはなんだろうと調べてみましたが、英語のサイトにも明確な意味の説明を見つけることができず、断片をつなぎ合わせるに、Zipは、元気や活力、あるいは、勢い良く進むといった意味があるようなので、それに調子を整えるフレーズとして、Dee-Doo-Dahをつけることで、「元気よく行こう」という事なのかなと思っています。

 

さて、スプラッシュマウンテンは「南部の唄」というディズニー映画をテーマにしたアトラクションなのですが、この映画自体は、映画の中で描かれているような「白人と黒人が対等に交流するなどいうことは当時ありえず、誤った歴史認識を招く恐れがある」との抗議もあり、現在は廃番となってしまっているようです。

Wikipedia
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%94%84

なかなか良さそうな映画なようですし、スプラッシュマウンテン好きの私としては、是非見てみたいものです。

2013年5月15日 (水)

リーダーシップ(Leadership)とは何か

リーダーシップとは何でしょうか。

少し前にリーダーシップについての相談を受けたこともあり、ここで改めてリーダーシップについての考えを記しておこうと思います。

リーダーシップをどうしたら上手に発揮させられるのかということは、リーダーという立場で、その責任を果たそうと真剣に考えるなら、誰しもが悩むものではないかと思います。

自分自身を振り返ってみても、以前に勤めていた会社では、同僚や後輩を引き連れて頻繁に遊びに行ったり飲みに行ったりと、お山の大将的な立場であったのですが、会社を始めて、社員が増えてくるにつれてそのようなやり方では仕事上のリーダシップは上手くいかないということが分かり、悩んだ時期がありました。

今になればよく分かるのですが、遊びと仕事のリーダシップはまったく異なります。

遊びは大抵の場合、参加者みんなが楽しいものであり、仲良しグループで構いません。

しかし、仕事でチームの目標をクリアするために行うことは楽しいことばかりではありません。
むしろ楽しくないことのほうが多いくらいかもしれませし、ときには軋轢や不公平感が生じることだってあるでしょう。

また、仲良しグループと違い、リーダーと部下という関係になるわけですから、

------------------------------------------------------------
リーダー
指示を出し、その遂行状態や上げた成果によって部下の(人事)評価をする人

部下
指示を受け、その遂行具合によってリーダーから評価を受ける人
------------------------------------------------------------

というように立場や利害が相反することもあります。

そんな中で、あるべきリーダーシップとはどのようなものなのか。

その答えは、Leadershipという英単語の中にあります。

leaderは、日本語でもリーダー、あるいは指導者、統率者、指揮官という意味ですね。

shipは、名詞につける接尾辞として、状態や技量、手腕を表す名詞になりますので、leader-shipという英語は、指導や指導力、統率力という名詞になります。

ただ大切なのは、そもそもの、leaderという単語に含まれている意味です。
つまり、lead-erは、lead(リード)する人であるということです。
leadとは、連れて行くとか導くという意味ですね。

ですから当たり前ですが、ついてくる人がいなければリーダーではありません。
リードする人とついてくる人という複数人によってチームが構成されます。

そして、そのチームを何処に連れて行くのか、どうやって行くのかが明確でなければリードすることなどは出来ないわけで、リーダーとはそれを明示する人であることが分かります。

仕事における目的地は、チームをして定めた目標を達成するところにあります。
つまりリーダーは、チームの目標を定め、その達成に必要な計画を立て、チームをして確実に遂行し、目標を達成する人のことなのです。

ですから、親分肌とか、求心力とか、あるいは、やさしい、面倒見が良い、部下から好かれるといったことは、(あるに越したことはないですが)一見リーダーシップのように思われますが、実は仕事におけるリーダーシップには関係無いことなのです。

それどころか成果を上げるリーダーは、非情(無情ではないですよ)である場合も少なくありません。

チームとして目標を達成することこそが、結果としてチームメンバーみんなの利益につながるのですから、その信念を持ち、万難を排してみんなをリードしていく人こそが真のリーダーなのだと思います。

ピーター・ドラッカー氏の著書中にリーダーシップを的確に言い当てている著述がありますので紹介しておきます。
------------------------------------------------------------

リーダーシップとは、人を惹きつける資質ではない。
そのようなものは扇動的資質にすぎない。

リーダーシップとは、仲間をつくり人に影響を与えることでもない。
そのようなものはセールスマンシップにすぎない。
(現代の経営より)

------------------------------------------------------------

リーダーシップは重要である。
だがそれは、いわゆるリーダー的資質とは関係ない。
カリスマ性とはさらに関係ない。
神秘的なものではない。
平凡で退屈なものである。

カリスマ性でも資質でもないとすると、リーダーシップとは何か。
第一に言うべきことは、それは仕事だということである。

効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。

リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である。
(未来企業より)

------------------------------------------------------------
まさしくその通りだと思います。

2013年4月19日 (金)

道に迷うことは道を知ること

Kupotea njia ndiko kujua njia.
道に迷うことは道を知ること

ラジオのCMで聴いた言葉で、スワヒリ語のことわざなのだそうです。

以前、偉人は失敗を前向きに捉えるという内容の記事を書きましたが、それと似ていますね。
前向きで楽観的な感じがとても良いです。

関連する記事
失敗とは上手くいかない方法の発見の事である

2013年4月 9日 (火)

生きるのに意味が必要なのか?

 

飲まずに帰る週末は、できるだけDVDを借りて観ようと思っています。
結局観られずに返却することも少なくなく、観なかったうえに延滞料金を払って返却したことも一度や二度ではないのですが、少し前に借りた「ホタルノヒカリ」という映画は、なかなか面白かったです。

 

綾瀬はるかさんが演じる、「蛍(ホタル)」という名前の「干物女(ひものおんな)」が主人公の映画で、人気があったテレビドラマの映画化なのだそうです。
映画で蛍は、藤木直人さん演じる「ぶちょお(部長)」とローマへ新婚旅行に出かけ、そこで松雪泰子さんが演じる「莉央」というつらい過去を背負った女性と出会います。

 

映画の中でのホタルと莉央のやり取りに、以前書いた、寅さんの「人間は何のために生きてんのかな」を想起させるような場面があったので記しておきます。
寅さんの映画を観たこともあり、人間が生きる意味をさんざん考えたあげく、「そもそも生きるのに意味が必要なのだろうか?」とも思いついた頃に観たので、特に強い印象を受けました。

 

------------------------------------------------------------

 

映画の後半、莉央の弟(手越祐也さん)とぶちょおが見守る中、「生きていることすら無意味で、仕方なく生きている」と、ぶっきらぼうに語る莉央に蛍が問いかけます。

 

(ホタル)
生きていることの意味?

 

(莉央)
ないんだよ
私には何も

 

(ホタル)
生きるのに意味が必要なんですか?

 

(ぶちょお)
おい

 

(莉央)
じゃ てめは
なんのために生きている?

 

(ホタル)
私は・・・

 

(莉央)
てめえにとって
生きるって なんだよ?

 

(ホタル)
食べて寝て
ゴロゴロすることですよ

 

(莉央)
てめなあ

 

(ぶちょお)
フツーじゃないので

 

(ホタル)
一日の終わりに ぶちょおと
縁側でビールを飲むんです

 

その時に思います

 

あぁ生きてて
よかったあ~って

 

(莉央)
あ ちょっと待て

 

この男と なんだって?

 

(ホタル)
ビールです

 

(莉央)
どこで?

 

(ホタル)
縁側で

 

(莉央)
で?

 

(ホタル)
で?

 

(莉央)
それで何?

 

(ホタル)
それだけです

 

(莉央)
(ため息・・・)
安上がりな女で よかったな

 

(ぶちょお)
おかげさまで

 

(ホタル)
そういう瞬間ってないですか?

 

一瞬でも
生きていてよかったって思うこと

 

その一瞬があれば
人は生きていけると思うんです

 

------------------------------------------------------------

 

寅さんの映画のオマージュなのかなとも思いました。

 

人間は生きていく上で、その拠り所として「自分が生きていく意味」が欲しいと思うのでは無いかと思います。
ただ、なにか凄いことを成し遂げるとかではなくても、ほんの些細なことでも幸せだなぁ、と思えることがあるだけでも生きている意味はあるのだと話すホタルは、ぼんやりしているようだけれど実は相当達観しているなぁと思いました。

 

確かに、どんなにささやかな幸せであったとしても、死んでしまったら絶対に味わえないのだから生きている意味といえるわけですね。

 

このやりとりだけに限らずストーリー面白かったですし、単純に楽しめるという意味からも、なかなか素敵な映画でした。
オススメです。

 

関連する記事
人間は何のために生きてんのかな

 

 

 

 

 

2013年4月 2日 (火)

遠くを見ることが経営者の仕事

車の運転が上手な人とそうでない人との違いの一つに、視線の配り方があります。

アイトラッキング装置という、人が見ている場所を記録する装置を使って、ベテランドライバーとペーパードライバーそれぞれが、運転中にどこを見ているのかを記録したテレビ番組を見たことがあります。
ベテランは、前後左右とバランス良く視線を配っており、比較的遠くまで見ているのに対して、運転が下手な人は車の前方だけ、しかも近くを集中して見ている傾向があるのだそうです。

見ているところが近くだけだと、その周辺や遠くは目に入りませんが、遠くを見ていれば、必然的に近くも視界に入ってきますので、入手できる情報の量は、近くだけを見ているのと比較になりません。
また、遠くで運転の障害になりそうな出来事を発見しても、自分がそこに到達するまでには時間がありますので、十分な対応ができますが、近くだけを見ている場合にはそうはいきません。

このことは、経営についても同じだと思います。

できる社長は、将来を見ています。
3年後の市場環境の変化を予想し、その中での自社のありたい姿を明確にイメージし、その実現のために、いま為すべきことを考え実行します。
もちろん、未来を予知することは誰にもできません。
しかし、いま起き始めている変化からいくつかの可能性を想定し、「こうなったらこうする」「この場合はこう対応する」といった具合に複数のパターンを考えておきます。

ところがそうでない社長は、ただ今期の決算、今月の数字、場合によって一週間後の支払いのことばかりを考えています。

経営に余裕があるから遠くを見られるのか、それとも遠くを見ているから余裕のある経営ができるのか。
たぶん後者が先なのだと思います。

私も、そんな偉そうなことを言える域まで達しているわけでもありませんが、つねに遠くを見るという姿勢は、これからも、それが当たり前になるまで続けて行こうと思います。

2013年1月28日 (月)

なんのために生きるのか(アウトプットと貢献)

 

週末に観たDVD「男はつらいよ 第30作 花も嵐も寅次郎」の中でのやり取りに、考えさせられる台詞があったので紹介を。

 

以前に書いた「人間はなんのために生きてんのかな」にもつながる話だとも思います。

 

沢田研二さんが演じる、三郎という男前だが奥手の青年に寅さんが尋ねられます。
------------------------------------------------------------

 

(三郎)寅さん。寅さんは恋をしたことがありますか? 

 

(寅さん)おい。こら。お前 誰に聞いてるんだ。
「恋をしたことがありますか?」よく言うよ お前。
俺から恋を取ってしまったら何が残るんだ。
三度三度飯を食って 屁をこいて糞をたれる機械。つまりは造糞機(ぞうふんき)だよ。な、おいちゃん。

 

(おいちゃん)バッカだなあ お前は。

 

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このやり取りを聞いて思い出した話があります。
中村天風先生の講話です。
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たいていは、ただもう生きられてるから生きている生き方の人生に生きている場合のが多くない?
生きられてるから生きている。
生きられているから生きているという生き方は、犬や猫だってやっている。

 

夜が明けたから目がさめたんだ。
腹が減ったからものを喰ったんだ。
飲み食いすりゃ出さなきゃならないものがあるから出したんだ。
また夜が来たら眠くなったから寝たんだ。
早く言えば、寝ちゃ、起きちゃ、喰っちゃ、垂れちゃ。寝ちゃ、起きちゃ、喰っちゃ、垂れちゃ。

 

その間いろんなよわい事や愚痴を言いながら、少しも、たいしてびっくりするほどの偉さは偉くならず、それで一年一年と積み重ねて、そして何年かたって、ポーッと泡がつぶれるようにこの世を去っちまうていうのが、もう人という人の事実ではないでしょうか。

 

------------------------------------------------------------
考えさせられる話です。

 

では、ただの造糞機にならないためにはどうしたら良いのでしょうか。
その一つが、屁や糞だけでなく、世の中のためになる何かを出す(アウトプットする)ことだと思います。

 

仕事で、商品やサービスを提供することで貢献するということもありますし、寅さんのように、その存在や言動で人の心を暖かくするという貢献をすることもあります。
本田宗一郎さんは、「人間の偉さとは、いかに世の中に貢献したかで決まる」と言っていましたがまさにその通りだと思います。

 

朝起きる時、今日は何をアウトプットするのか、どんな(良い)影響を与えられるだろうか、を考え、毎日をスタートさせようと思います。

 

.

 

 

関連する記事
人間は何のために生きてんのかな

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2013年1月 5日 (土)

情報が無くても生きる強さ(釜石の奇跡に学ぶ)

昨年暮れに、NHKで「釜石の"奇跡"」という番組を観ました。

ご存知のかたも多いかも知れませんが、184人の児童全員が、自力で東日本大震災の巨大津波を生き延びた、岩手県の釜石小学校の話です。

学校にいて先生の指導のもと避難をしたということではなく、放課後、家でゲームをしたり、海で釣りをしたりしていたりと、それぞれがまちまちの場所にいた子どもたちが、地震の後、自分たちの判断で避難をして全員が助かったという話で、中には逃げようとしない親や祖父母を泣きながら「逃げないと死んじゃうよ」と説得して命を救った女の子もいました。

小学生が何故そのような判断と行動をすることが出来たのか。
端的に言えば、事前の防災教育や訓練によって、子どもたちが地震が起きた時に、津波が来るということを思い出し、避難という行動をすることが出来たということなのですが、避難三原則と名付けられた「想定を信じるな」「状況下で最善を尽くせ」「率先避難者たれ」という教えがこの奇跡を生み出したのだそうです。
詳細に紹介したサイトや動画もたくさんあるようですので、お時間のある方は是非調べてみてください。

>釜石の奇跡のGoogle検索

さて、番組の中で私が特に衝撃を受けたのが、子どもたちに防災教育を施した、釜石市の防災アドバイザー、群馬大学の片田敏孝教授の言葉です。


よく「情報がなかったから逃げなかった」という話を聞くが、それは言い換えてみれば「逃げろと言われなかったから逃げられなかった」と言っているのに等しく、いつから日本は自分の命を守ることに対してまでもこんな受け身の社会になってしまったのか・・・

といった内容の話を嘆くようにおっしゃっていました。


また、情報には自分にとって都合のいい情報と都合の悪い情報があり、人間とは、いい情報は過大に評価する一方、都合の悪い情報は、例えば「津波が来ると知らされても、そんな大きな津波は来ないだろうと思いこむ」といったように過小評価し、あるいは都合よく解釈したりするものだ。

という発言も、なるほどなと思いました。

情報は大切です。
しかし、現代は情報が溢れかえり、その結果、過度に情報に依存したり、振り回されている人が少なくないように思います。
一昔前、情報があまり無かった頃は、手持ちの知識、経験、本能、研ぎ澄ました知性を頼りに判断し行動しなければならなかったのに、世の中が便利になり、情報がふんだんにあることで、それらの能力が衰えて来ているのではないでしょうか。

例えば、情報が簡単に手に入ることで、いちいち記憶することを止め、パソコンや携帯が変換してくれることで漢字を忘れ、カーナビに頼ることで地理感覚が鈍ったりするように、文明が進化する一方で、人間が本来持っていた力が弱って来ているようにも思います。

情報が簡単に入手できる素晴らしさ、快適さや便利さを享受できることを否定するわけではありませんが、だからこそ自分を頼りにする意志と、頼りにできる自分を鍛えることをして行かなければならないと改めて思いました。

2012年12月20日 (木)

人生のあらゆることを、それが最後だと思って行いなさい

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人生のあらゆることを、それが最後だと思って行いなさい。

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第16代ローマ皇帝 マルクス・アウレリウス・アントニヌス
の言葉だそうです。

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「一期一会」のことわざに通じるところがありますね。

人間はいつ死ぬのか分からないわけですから、いま行なっている一つ一つのことが、死ぬまでの間に二度と行われるという保証はありません。

それ以前に「いまこの時間」は、二度と訪れないわけですから、どんなことであっても、 "いま" 行なっていることはこれが最後になるわけですね。

一時一時、一つ一つのことを大切に大事に行いたいと思います。

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関連記事
今の仕事に最善を尽くすということ(日本一の草履取り)

一生のうちに働ける時間

必死の覚悟とは

武士道とは死ぬことと見つけたり

2012年12月12日 (水)

思考に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

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思考に気をつけなさい
それはいつか言葉になるから

言葉に気をつけなさい
それはいつか行動になるから

行動に気をつけなさい
それはいつか習慣になるから

習慣に気をつけなさい
それはいつか性格になるから

性格に気をつけなさい
それはいつか運命になるから

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マザー・テレサの言葉だそうです。

なるほど。その通りかも知れません。

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原文

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words;
Be careful of your words, for your words become your deeds;
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits;
Be careful of your habits; for your habits become your character;
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

2012年11月27日 (火)

知識社会とは知識が価値を失っていく社会のこと

現代は知識社会であると言われます。
知識社会というと知識を資本とする社会であり、知識こそが尊く価値あるものであると思われることが多いようですが、本当はまったく逆で、知識それ自体はどんどん価値を無くしているのが知識社会の現実です。

なぜなら、ITの急激な進歩によってパソコンやスマートフォンなどから検索するだけで簡単に多くの知識にアクセスすることができるからです。
いままでは、限られた専門家や研究家のみが知っていたような希少な情報や知識にたどりつくためには、大変な労力と時間を必要としましたが、いまではネット上で簡単に、しかも瞬時に見つかることが少なくありませんし、そこから掘り下げて調べることも、関連情報に広げて調べることもできます。
どんな博識な人であっても、量と範囲においては、Googleやウィキペディアに敵わないというのが現代の姿です。

そうなると、ネット上にあり、誰でもがアクセス出来る知識自体は、希少性と価値の関係から考えても価値がなくなってきていることが分かります。
それよりも検索テクニックを駆使して、必要とする情報にたどり着くための知恵や技術、玉石混交の膨大な情報の中から正しい情報や知識を見抜く力が大切になります。

知識そのものが価値を失ってきている分かりやすい例として、法務や税務の分野があります。
かつては弁護士に高い費用を払って相談していたようなことも、現在ではネットで調べて判断できることも少なくありませんし、税金の申告書の作成や申告そのものもパソコンでできる時代です。
そうなると、弁護士や税理士が必要な知識を持っているのは前提条件として当然のことであり、弁護士が求められるのは知識を持っていることよりも、知恵と技術を駆使してクライアントが求める最上の結果を手に入れられることであり、税理士に必要なのは顧問先の利益につながる指南が出来ることなわけです。
また、優秀な外科医は知識を豊富に持っていることを求められるのではなく、手術を成功させられる判断や技術が求められます。そのため必要なのが知識であり、知識そのものには価値はありません。

知識を資本とする社会は、お金を資本とすることと比較して考えると分かりやすいと思います。
つまり、いくらお金をたくさん持っていたとしても、使わなければ意味がありませんし、上手な使い方をしなければお金という資本を投じても価値を生じません。
知識も同様に、持っていること自体にはまったく意味がなく、あくまでも、それをどのように活かすのかという使い方の方にこそ価値があるわけです。
これこそが知識社会の本質だと思います。

2012年10月31日 (水)

伝統は守るもの、歴史はつくるもの

先日、東京に出張したおりに、銀座でカツカレーを食べました。
なかなか昼食を食べられないまま、14時前くらいになってしまったので、(いつもお世話になっている)有楽町駅の吉野家で簡単にすまそうかとも思ったのですが、カツカレー発祥の店が近くにあると聞いて、カレー大好きの私は、その店「銀座スイス」さんに行きました。

時間が外れていることもあり、ちょうど帰っていったお客さんと入れ替えで、客は私一人だったので、色紙が入った額とともに新聞の切り抜きが貼ってある、よさそうな席に座ったのですが、その記事にカツカレー発祥の話しとともに、良い言葉が書いてありました。

カツカレーが誕生したのは昭和23年のことで、この店の常連であった巨人軍の千葉茂氏が、いつも別々に頼んでいたカツレツとカレーを手っ取り早く食べられるようにと、「カレーにカツをのせてくれ」と頼んだのがはじまりだそうです。

その後、カツカレーはたちまち人気メニューになり、店主の庄子さんから「この味を守り続けたい」と言われた千葉さんが、返したのが表題の言葉「伝統は守るもの、歴史はつくるもの」だったそうです。
なるほど、歴史はつくっていくものであり、つくられたものの中から良い物が伝統となっていくわけですね。

長い歴史の中で工夫と改良を加えられただろうカレールーは、揚げたてのカツと調和してとてもおいしかったです。

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