「会社のために働くな」「自分の幸せのために働け」と言った経営者がいた。
ホンダの創業者、本田宗一郎さんだ。
現代の世の中であれば、それほど不思議な言葉では無かろうが、何十年も前のことである。
滅私奉公という考え方も少なくなかった当時、そんなことを考えていた従業員は多くなかったはずだし、経営者においても珍しかったのではないか。
会社で働く意義というものは
・安定、発展して生活をしていける収入を得るため
・自分が好きな業務に従事するため
・顧客や取引先、地域社会に貢献する喜びを得るため
・仕事を通じて自分が成長していく喜びを得るため
・職場に信頼し尊敬しあえる仲間がいてお互いに高めあえるから
など、いくつかあろうが、いづれも自分の幸せにつながることである。
私は、以前よりずっと「会社」と「自分」という比較ではなく、「顧客」と「自分」を比較したときには、どちらが先でも同じだと思っている。
顧客に貢献することによって、対価や感謝が得られ、それが自分の幸せや喜びになり、そしてそれがまたやりがいとなって顧客に貢献する原動力になると考えるからだ。
しかし今、何故本田さんが、会社と比較し「自分の幸せのために働け」と言ったのかを考えると、そこには人間尊重という人間本位の経営をしようとした、その強い意志を感じる。
働く以上は楽しく働く。
社員がやりがいを持って楽しく働き、ひとりひとりが幸せになっていく過程において、二次的に会社の発展があるのだと、あらためて思う。
本田さんと、もう1人の立役者であった藤澤武夫さんが、ホンダの創業期に、二つの約束をしたという話しを最近知った。
「自分たちが嫌だと思うことは、従業員にも味あわせない」
「いつかホンダを去るときにはこの会社で働いて良かったと思えるようにする」
という約束だそうだ。
浜松という土地柄、私の周りには、ホンダOBや現役社員、関係者などたくさんいるがみんなよい会社だという。
自分も含めて、誰もがいづれ会社を去るときが来る。
そのときに、「いい会社で働けたな」と思える会社にしていきたい。
もう一つ、ひょんなことから、本田技研工業が生まれた場所は現在の当社と同じ町であったことを知った。
会社の窓から目の前に見える場所である。
社史を見ると、昭和21年に、浜松市山下町において本田技術研究所を開設。昭和23年の9月、本田技術研究所を継承し、資本金100万円をもって、浜松市板屋町257番地に本田技研工業株式会社を設立したとある。10坪ほどの木造バラックであったそうだ。
その後、藤澤さんが入社し、東京に本社を移し世界へと進出し驚異的な成長を遂げた。
一方かの地は、現在は再開発され当時の面影はまったく無いし、世界中に十何万人もの社員を抱える会社の原点が本当にそこにあったのだろうかと思えるほどである。
しかし、設立当時、20名ほどの生まれたての本田技研工業で、本田さんと、社員の夢や情熱が、60年前、そこに間違いなくあったのだと考えると胸が熱くなります。