2008年8月 6日 (水)

ミッション(使命)

昨日のプロフェッショナルの流儀は、映画監督、宮崎駿さんの「崖の上のポニョ」制作密着スペシャルだった。

番組の中で、最も衝撃的だったのは、宮崎さんの「映画の奴隷になる」という言葉であった。
映画作りは、決して自分が好きなようにやっているのではなく、「この映画はこうしなくてはいけない、という宿命を背負ってやっている」のだと。
宮崎さんは「人を楽しませることができなかったら自分が存在する意味がない」というようなこともおっしゃっていた。

仕事にはミッション(使命)が必要だと私は思う。

宮崎さんの使命は「映画を通して、人々を楽しませる」ことなのだろう。
その大きな使命の下で仕事をしている。
だから、部下にも厳しい。
番組の中で、若いアニメーターの手を抜いたような仕事をみて「映画作りに情熱を持てないのであれば辞めてくれ」というように厳しく叱責する場面が出てくる。
感情的にどうこう、ということではなく、使命を果たさなければならない責任から出た言葉だと思う。
これこそが、プロフェッショナルなのだとあらためて実感した。

企業においても使命が必要だ。

企業は「ただ儲ければいいんだ」ということではないはずだ。
自らの事業を通して、世の中を、もっと言えば世界をどう変えていくのか。それが大切である。
企業の経営者は、組織の使命を考え抜き、明確に定義し、実現しなければならない。

2008年7月22日 (火)

縁(えん)

先週、友人宅でバーベキューをした。
3家族が集まってとてもにぎやかで楽しい会だった。

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会場宅となった友人のお父さんは、昔、私が勤めていた会社の社長だった方である。
既に亡くなられてから久しいが、縫製工場だった会社を1部上場の企業にまで育て上げた辣腕経営者だ。

仏壇があり、手を合わさせていただいたが、手を合わせている間、不思議な感情にとらわれた。

かなり昔に郷土の経営者を紹介する本で読んだのだが、その社長のお父さん(創業者)が、事業が上手く行かなくて、幼児だった社長とともに、遠州灘(浜松近辺の海)に身を投げようとしたことがあったという話しを思い出した。

「もし、この人がいなかったとしたら・・・」

私がその会社に入社することは無かったし、今日の友人たちと出会うこともなかったはずである。
まったく違う人生を送り、違う人と結婚し、違うこどもが産まれたことだろう。
(友人にいたっては存在すらしていなかったわけだ。。。)

まさに縁である。
人は、そんなつもりはなくても、周りに大きな影響を与えながら生きているものだ。

せっかく生まれてきたのだから周りに良い影響与えられるようにしていきたい。

いま、こうした人生を送られているのも多くの人たちのおかげだと思う。
あらためて感謝します。

2008年7月 9日 (水)

本田技研工業

「会社のために働くな」「自分の幸せのために働け」と言った経営者がいた。
ホンダの創業者、本田宗一郎さんだ。
現代の世の中であれば、それほど不思議な言葉では無かろうが、何十年も前のことである。
滅私奉公という考え方も少なくなかった当時、そんなことを考えていた従業員は多くなかったはずだし、経営者においても珍しかったのではないか。

会社で働く意義というものは

・安定、発展して生活をしていける収入を得るため
・自分が好きな業務に従事するため
・顧客や取引先、地域社会に貢献する喜びを得るため
・仕事を通じて自分が成長していく喜びを得るため
・職場に信頼し尊敬しあえる仲間がいてお互いに高めあえるから

など、いくつかあろうが、いづれも自分の幸せにつながることである。

私は、以前よりずっと「会社」と「自分」という比較ではなく、「顧客」と「自分」を比較したときには、どちらが先でも同じだと思っている。
顧客に貢献することによって、対価や感謝が得られ、それが自分の幸せや喜びになり、そしてそれがまたやりがいとなって顧客に貢献する原動力になると考えるからだ。

しかし今、何故本田さんが、会社と比較し「自分の幸せのために働け」と言ったのかを考えると、そこには人間尊重という人間本位の経営をしようとした、その強い意志を感じる。

働く以上は楽しく働く。
社員がやりがいを持って楽しく働き、ひとりひとりが幸せになっていく過程において、二次的に会社の発展があるのだと、あらためて思う。

本田さんと、もう1人の立役者であった藤澤武夫さんが、ホンダの創業期に、二つの約束をしたという話しを最近知った。

「自分たちが嫌だと思うことは、従業員にも味あわせない」
「いつかホンダを去るときにはこの会社で働いて良かったと思えるようにする」

という約束だそうだ。

浜松という土地柄、私の周りには、ホンダOBや現役社員、関係者などたくさんいるがみんなよい会社だという。

自分も含めて、誰もがいづれ会社を去るときが来る。
そのときに、「いい会社で働けたな」と思える会社にしていきたい。


もう一つ、ひょんなことから、本田技研工業が生まれた場所は現在の当社と同じ町であったことを知った。
会社の窓から目の前に見える場所である。

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社史を見ると、昭和21年に、浜松市山下町において本田技術研究所を開設。昭和23年の9月、本田技術研究所を継承し、資本金100万円をもって、浜松市板屋町257番地に本田技研工業株式会社を設立したとある。10坪ほどの木造バラックであったそうだ。

その後、藤澤さんが入社し、東京に本社を移し世界へと進出し驚異的な成長を遂げた。
一方かの地は、現在は再開発され当時の面影はまったく無いし、世界中に十何万人もの社員を抱える会社の原点が本当にそこにあったのだろうかと思えるほどである。
しかし、設立当時、20名ほどの生まれたての本田技研工業で、本田さんと、社員の夢や情熱が、60年前、そこに間違いなくあったのだと考えると胸が熱くなります。

2008年7月 8日 (火)

スポーツ

しばらく前から、たまたまきっかけがあって、スポーツを始めた。

本格的に身体を動かすのは十数年ぶりくらいだ。
しかも、2つのスポーツをほぼ同時期に始めた。

ひとつはなんと「剣道」

こちらは、正直つらい・・・
防具をつけていても、面を打たれると、コブが出来る。
(昨日、聞かせて頂いた話しによると面を打つときの衝撃は70kgなのだそうだ)
小手(手首のところ)を何回も打たれると、骨にヒビが入ったんじゃないかと思うくらい痛く、最近は引くのが早くなったとはいえ、2、3日はアザが消えない。
防具は重く、動きづらく、暑い。
練習は、毎回1時間くらいなのだけれど、後半は息が上がって、心臓も、ここ数年経験の無いような早さで脈打ち、立っているのもつらいくらいになる。

少し前に、道場でAED(自動体外式除細動器)という装置を使い、電気ショックで心肺機能を蘇生させる訓練を行なったのだけど、危うく自分がその人形の代わりになるかと思った。

それなのに、道場では60代や70代の先生が息を切らすこともなく、平然としかも素早い動きで稽古をしている。
すこしでも早く、息を切らさず動けるようになりたい。


もうひとつは「ラグビー」

こちらは、面白い。
確かに、照りつける太陽の下、息は切れるし、大汗もかく。
張り切りすぎると足がつる。
でも、パスを回して走るのがキレイに決まると嬉しい。
コーチが構えた、人型のクッションにボールを持ってぶつかる練習も性に合っているのか、ストレス発散になるのか、爽快だ。

トレーニングも面白いが、試合はもっと面白い。

だいぶ前になるけれど、なんと「ジュビロのヤマハスタジアム」で試合をやらせていただいた。
芝生がふかふかで感激した。

剣道も試合になれば面白いんだろうな。

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2008年3月16日 (日)

天才とは1%のひらめきと99%の努力である

世界の発明王エジソンの有名な言葉ですね。

一般的には、努力の大切さを説く言葉とされていますが、エジソン自身が、言いたかったことはそうでは無かったようです。
後年、「私を取材した記者は落胆したのか、大衆受けをねらったのか努力の美徳という内容にしてしまった」と語っていたそうです。

記者の「これまでの発明の中で最も素晴らしいひらめきは何か?」

という質問に対してエジソンは

「それは赤ん坊の頭脳の中に天才を見いだしたことだ。生まれたての頭脳ほどリトルピープルにとって住みやすい場所はない。つまり、年が若いほど、リトルピープルの声に耳を傾けることができる。大人になってからは至難の業となるが、それでもなんとか、1%のひらめきと、99%の努力があれば不可能ではないだろう」。

と答えています。

リトルピープルとは、地球外生物のことで、エジソンは、自然や人間はこの地球外生物によってコントロールされており、ひらめきや発明もリトルピープルによってもたらされていたと考えていたようです。
あまりにも奇抜な発想なので記者が理解できなかったとしても仕方が無いかもしれません。

私たち人間は無限の可能性を持っていますが、子どもの頃に何でもできると思っていたことが、年をとるにつれて限界を自分自身で決めていってしまうところがあると思います。
「リトルピープル」を「可能性」と置き換えてみると良いのではないでしょうか。

2008年3月12日 (水)

手帳の使い方について

4月始まりの手帳の広告を今朝の新聞で見て手帳の使い方について少し考えてみました。
ビジネスマンで手帳を持っていないという人はそんなに多くないと思いますが、同じ手帳でもその使い方となると十人十色だと思います。

私も手帳の使い方については、試行錯誤の結果編み出した自分なりの流儀があり、それを書いていると膨大な量になってしまいそうなのですが、工夫していることの一つが、計画帳としてだけではなく記録帳としても使うことです。

手帳ですから、もちろん予定を入れていきますが、それとは別に予定の結果、その日あった出来事や考えたこと、観た映画など、ちょっとしたこともメモで書き込みます。
また、小学校の夏休み日記みたいですが、その日の天気をマークで書き込んだり、たまには落書きレベルのイラストを描いたりもしています。
日記ほど詳細ではありませんが、後から見返したときにどんな日だったかを思い出せるようになっています。

私は、大晦日にその年の手帳を元旦から見返し、どんなことがあった一年だったのか振り返って一年を終えるようにしています。
今年366日、すべての日がどんな日だったかを思い出せるような「濃い」毎日を送っていきたいとあらためて思いました。

2008年2月24日 (日)

社長の仕事とは

社長の仕事とはなにか。

先日、自分が行っている仕事を整理するために、過去を振り返りながら洗い出してみた。

朝会や各種打合せの出席から、会計データの確認と対処、メールの確認返信、見積や発注書の決裁、成果物やドキュメントの確認、といったレベルのくくりで、毎日、ほぼ毎日、定期、随時に分けて挙げてみたところ、全部で80あまりになった。
単純な作業がある一方、面接や採用の判断、契約の確認、人事に関する評価など神経と時間を費やさなければならないものも多い。
あまりにも多く、しかも多岐にわたっている。

しかし、私は、社長の本当の仕事は決定だと思う。
日々発生する課題や相談などに対して、小さいものから大きなものまで、かなりの数の意思決定を毎日しているが、その中でももっとも重要な決定は、会社の方針に関する決定である。
その判断いかんによって、会社は繁栄もするし、つぶれることもある。

決定とはその結果に対して責任を持つということである。
会社においては、そのすべてに最終的な責任を負うのは社長である。
したがって決定は社長にしかできない。

中小企業の社長に絶大な人気を持たれた一倉定先生は、
「社長とは経済に関する危険を伴う意志決定をする人である」
とおっしゃっていた。

まさしくその通りである。

今、もっとも大切な意思決定である経営計画書の作成を行っている。
ここ1ヶ月、毎週土日作業になっているが、まさに正念場である。

2008年2月20日 (水)

決定と決断

決定とは、いくつかある手段の中からの選択であり
決断とは、不気味な暗雲への賭けである

クラウゼヴィッツ 戦争論


その後の運命を決める後戻りの出来ない重大な判断、しかもその先がどうなっているか分からない中でする、それが決断である。
シーザー(カエサル)が、ローマの法で禁じられていた、ルビコン川を軍勢を率いて渡ると決めた判断、これこそが決断であろう。
その際に彼が残した言葉が有名な「賽は投げられた」である。

2008年2月19日 (火)

求む男子。至難の旅

「求む男子。至難の旅。わずかな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証なし。成功の暁には名誉と称賛を得る。」

"Men wanted for Hazardous Journey. Small wages, bitter cold, long months of complete darkness, constant danger, safe return doubtful. Honour and recognition in case of success."

探検家アーネスト・シャクルトンが新聞の片隅に掲載した、南極探検隊員募集広告です。
数千人の応募があったとか。

奮い立ちますね。

当社でも、つねに求人を行っているので応募を呼びかける文章は気になるところですが、本来の目的であった募集広告という観点から見ても見事な広告です。

2008年1月28日 (月)

必死の覚悟とは

この間の「葉隠」の記事の中に「必死の覚悟」ということを書きましたが、その後「必死」という言葉に対しての気づきを得る機会がありました。
「必死」というのはもの凄く大変な事のような気がしますが、実は当たり前の事なのだということです。

「必死」という言葉は、必ず死ぬ、と書きます。
一方、私たち人間を含め、生き物には必ず死ぬときがくる。
つまり私たちは誰もがすでに「必死」なのだということですね。

それがいつなのかは分からないが必ずそのときは来る。
何十年も後かもしれないが、ひょっとしたら明日かもしれない。
もし、明日死ぬのだとしたら、今日、今、何をすべきなのか。

いつ死ぬのか分からないからこそ、この貴重な1日1日を大切に生きなければならないわけで、「一期一会」といわれる人との出会いも同じですね。

それを考えると葉隠の、
毎朝、毎夕、改めては死に、改めては死に、常に死に身なっている時は、武道に自由を得て、一生落ち度無く役目を全うできるものである。

という言葉がストンと腹におちます。

死ぬことを考えることは、じつは生き方を考えることに他なりません。
長生きしそうな性格ではありますが、いつ死んだとしても後悔しない人生を送っていきたいと思います。

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