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2008年1月17日 (木)

武士道とは死ぬことと見つけたり

三島由紀夫が、唯一座右の書としていたという「葉隠(はがくれ)」の中の有名な一句です。

今年の初め頃にふと、読み返してみたくなり、寝る前などに少しずつ読んでいます。
何故今、読みたくなったのかは分かりませんが、最初に読んだのは10年以上の昔のことで、そのときも大きな感銘を受けました。
三島由紀夫の生き方(死に方)にこの本がどのような影響を与えたのか、三島由紀夫というと「潮騒」一冊しか読んだことの無い私には分かりようもありませんが、現代の風潮や価値観からは、まったく違うところにあるような本で、背筋がピンと伸びてくるような非常に良い本です。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。」

全文を現代風に訳すと、
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武士道の本質とは死ぬことだと知った。生か死かを選ぶ際に、死ぬ方を選ぶというだけのことである。別に難しいことはない。腹を据えて進むだけである。
二者択一で正しい方を選ぶのは、とても難しい。
人は誰しも死ぬよりも生きる方がよいものである。だからこそ生きる方を選ぶことに理由をつける。
ただ、生きる方を選んで失敗して、なお生きているとすると腰抜けといわれることになる。しかし、死ぬ方を選んで、失敗して死ぬと、犬死にだといわれるかもしれないが、恥ではない。
これが武士道の本質である。
毎朝、毎夕、改めては死に、改めては死に、常に死に身なっている時は、武道に自由を得て、一生落ち度無く役目を全うできるものである。

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となる。

江戸時代も、葉隠が書かれたころになると、泰平の世となり、男が女性化したがるような風潮もあったようです。
若侍たちの話しの内容が、お金の話しや、損得、内緒事、衣装(ファッション)、色欲ばかりになっていることを憂う文章も出てきます。
今と変わりませんね。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは、そのまま聞くと物騒な感じさえする言葉ですが、これを書いた山本常朝(やまもとじょうちょう:江戸時代の鍋島藩の藩士)は武士として、もっといえば男としての態度や「必死の覚悟」といったものを伝えたかったのだと思います。

葉隠には、「酒の席での心得」や「心の持ちよう」、「立身出世」、「芸は身を滅ぼす」、「子供の育て方」、「つまらない仕事こそ一生懸命にやる」、「七転び八起き」といったような、生き方や処世術といったものを教えられる部分がたくさんあります。
江戸時代の武士たちの、現代のビジネスマンである私たちと変わらない様子は、不思議な気もしますし、身近に感じて可笑しいような気もしてきます。
身が締まる気持ちになりますが、決して取っつきにくい本ではありません。

男として、読む価値のある本だと思います。


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