「慣れる」ことと「画一化」への不安
3月11日の震災から一ヶ月が過ぎた。
当初に比べると、メディアの扱い方も、私たちの意識も少し変わってきたように思う。
そんな中、最近、実はとても怖いことではないかと感じることが二つある。
それは「慣れ」ということと「画一化された意識(空気)」である。
本来「慣れる」ということは、悪いことではない。
「慣れた」ことで油断して失敗する。とか、贅沢に「慣れる」というようにマイナスの意味で使われることもあるが、仕事に「慣れる」とか、不自由な生活にも「慣れる」というように、「慣れ」とは人間の適応能力の一つでもある。
ただ、「慣れ」は、場合によっては「麻痺」と紙一重だといっても良い。
当初、原発から放射性物質の流出が発生したという事実を知ったとき、私たちはそれを衝撃的に受け止めた。
しかし、シーベルトとかベクセルといった単位が耳慣れて来るにつれて、1000倍とか、何万倍とか言われても、当初ほどの衝撃を感じ無くなってきている。
メディアの扱いも小さくなった。
当初よりも重大な出来事や数値に対して驚かなくなってきている。つまりこれは「麻痺」してきているということではないだろうか。
もちろん過剰に反応することは論外だが、麻痺した状態では正しい判断が出来にくくなることも事実だろう。
これは、とても怖いことではないか。
もう一つの心配は、メディアの論調も私たちの意識にも、多様性が乏しくなってきたように感じることである。
少し前に、アエラという雑誌が「放射能が来る」という、表紙タイトルで販売をしたときに、「不安を煽るな!」ということで非難が殺到したそうだ。
しかし、
放射能(正しくは放射線だと思うが)は「実際に来ているのである」。
日本だけでなく、世界中に拡散している。
これは、間違いのない事実である。
もちろん、いたずらに不安を煽ることはしてはいけない。
アエラ(他のメディアに同様だが)についても、後ろには商業主義が付いて回るのは当然だろう。扇動的なコピーで多くの人に買ってもらいたいという意識がまったく無かったとも思わない。
ただ、それを理解した上でも、事実として起きた事象に対する多様な意見や考えはあるべきで、その発表を阻止しようとすることがあってはならないと考える。
(もちろん限度というものはあるけどね)
あくまでも、それを購入するかどうか、読むかどうか、どう受け止めるか、を決めるのは読者なのだから。
大昔のことであるが、J・F・ケネディ大統領が暗殺された事件で、アメリカのTVメディアは、その多くが亡き大統領の業績を振り返り、国民が哀悼の意を表している映像を伝えたのだが、その一方でそれとは逆のシーンも併せて放映した放送局があった。
それは、南部の小学校で先生が「ケネディ大統領が死亡しました」と伝えた瞬間、「子供たちが立ち上がって拍手をする」シーンだった。
ケネディが掲げた「人種融合政策」に対して、それほどまでも強い反対があったということなのだろうが、ひどい話である。
当然、不快に感じた人も多かったろうし非難も浴びただろう。
ただ、「そんな映像は放映するな」という人は、ひょっとしたら事実から目をそらしたいだけなのかもしれない。
もちろん見たくないものを見る必要はないのだが、それも度が過ぎれば、「自分にとって都合の良い事実だけを知りたい(逆に言えば、自分に都合の悪い事実は知らないでいたい)」とか「自分が受け入れやすい事実だけを知りたい」といった危険な状態になってしまうのではないかと思う。
心地のよい映像や、共感出来る内容へと恣意的に編集してしまえばそれはフィクションだ。
しかし、ジャーナリズムの本質とは、事実を正しく伝えることである。
全国民が悲しんでいるわけではない。喜んでいる国民も一方にはいるのだという「事実」を伝えようとするその姿にジャーナリストとしての良心と正義を感じた。
私たちの国は、多くの悲劇を生んだ戦争へと国をあげて突入してしまった過去を持つが、当時の、制限された情報や思想統制の時代から比べると、現代は、多くの情報を手に入れられ、自由で多様な意見や考え、思想を持ち、そして発表出来るようになったはずだ。
「事実」と「意図が加えられた情報」との違いを見極める力を持つこと。
真実から目をそらさずに正しい情報を手に入れ、その上で冷静にしっかりと自分の頭で考え、そして行動に移すこと。
それこそが大切であると思う。
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